すみだで初めて「ウィキペディアタウン」が開催

6月18日、東京都墨田区初のウィキペディアタウンが開催。昨年(2021年)に行ったエディッタソンの経験者と主催者で行ったプレ開催を展開してきたが、新型コロナウイルス感染症の拡大により、開催時期を見定めていた。現時点では、感染が落ち着いたこともあり、一般公開にて開催することとなった。この運営チームには、すみだすみずみ堀りおこし隊や図書館の方など、私を含めて4名でプログラムを組み立てた。今回は「すみだ北斎美術館」を会場に開催し、約20名が参加して開催できた。

これまでの準備

開催に向けては、2021年2月と11月にプレイベントとして実施した。一般公開イベントに向けて、参加者人数も少しずつ増やしていった。特に2月はまだ感染状況が読めないこともあり、ハイブリッド開催で行った。この時のテーマは「すみだ北斎美術館」(2月)や「江島杉山神社」「回向院」(11月)など。

araisyohei.hatenadiary.org

また、11月のイベントを企画している際、すみだの図書館でも研修をしてみたいというご要望をいただいて、開催したのが12月に行った #1lib1ref の研修会。実際に司書さんと一緒にワークに取り組んだあの日は楽しい一日だったことを今でも鮮明に覚えている。

araisyohei.hatenadiary.org

いよいよ公開イベントとして

2回のプレ開催を踏まえ、つぎのターゲットを設定することにした運営チーム。まずは、予算措置をどうするのかというところで議論した。どうしても区内の会場かつ、東京都の新型コロナウイルスに関するガイドラインを遵守するなどとすると、広い会場が必要になる。そこで、さわやか福祉財団さんの助成金にエントリーすることとなり、助成を受けることができた。ただ、感染状況は落ち着く様相を見せることなく開催時期を決めることはできなかった。

www.sawayakazaidan.or.jp

運営メンバーのみなさまは2022年2月末に行われた「WikipediaLIB@信州#04 ~ウィキペディアタウンのつくりかた~」にもお誘い+ご参加してくださり、全国で行われているウィキペディアタウンを中心としたエディッタソンにご参加してくださった。今回の開催に向けて、多くを参考にしてくださったと思い、当日の登壇者として、ありがたい限りだった。

www.knowledge.pref.nagano.lg.jp

3月に行ったミーティングでまずは開催時期を決めることから始めた。このミーティングで、6月・12月に開催すること、執筆テーマの大まかな案(この時点では、プレ開催で取り組んだ北斎関係や江島杉山神社)、募集用のチラシを作ること、会場確認なども含めて月1回のペースでミーティングをすることとした。その後、ウィキペディアブンガクの開催がひと段落した5月、いよいよ広報用のチラシが完成。同時に申込フォームもオープン、またウィキメディア財団の皆様にもご協力いただき財団ブログ「Diff」にも掲載して参加者募集も開始した。

ご案内リーフレット / (C)すみほり隊
diff.wikimedia.org

ワークシートの題材

運営とのプログラム企画時での話題にもよるが、私自身が講師をさせていただく場合には、アカデミックライティングのワークを入れることにしている。今年のウィキペディアブンガクより前のイベントでは、架空の新聞記事を準備し、そこからウィキペディアの記事に用いることができる内容は何かをテーブルごとに議論してもらうというものだ。今回は「すみだ北斎美術館」を会場に開催する、ということもあり、昨年展覧会をおこなったしりあがり寿さんに関する記事を用いてワークショップを組み立てた。

www.asahi.com

www.tokyo-np.co.jp

当日の模様

運営スタッフは、開会前の9時に今回の資料を借用した墨田区立緑図書館に集合し、図書資料の運搬からスタート。会場入りすると、機材準備やレイアウト変更などをこなしていく。開始時間までに運営を含めて約20人が、すみだ北斎美術館の講座室に集合して、最初にテーブル分けを行った。これまでエディッタソンに数多く参加したことある方と初心者向けでテーブルを分けて着席していただいた。まち歩きが始まった。今回のまちあるきはプレ開催でも訪れた「江島杉山神社」。短い時間の中で往復し、ガイドの五味さんもかなりお話ししてくださった。運営側は時計と常に睨めっこしながら、美術館と神社を往復したのだった。

美術館に戻ったのち、初心者向けの皆様には、編集方針などのガイダンスを実施、前述したワークをテーブルごとで実施した。もう一方のチームは、スタートからお任せしてそれぞれ思い思いの記事執筆にチャレンジしていただいた。スケジュールより少し早めに午前のプログラムが終わったこともあり、ランチタイムへ。

私がお邪魔したのは、街歩きの途中でも気になっていたお蕎麦屋さん「穂乃香」。男子4人で鉄分とウィキ成分が多めの話題。それぞれのつながりはあるものの、4人一堂に会したことはなく、自分でも驚いてしまったところだった...。ここでは以降に予定されているエディッタソンやアウトリーチ活動に話題の花が咲く。

午後からは、スクリーン側ではミニ講座がスタート。なぜすみだは来たと南で歴史が分断されているのか、埋め立てられてきた歴史など、時間延長気味での講座が開催された。これ動画撮ってもよかったなぁ、と今になって思う。

編集にいそしんだ皆様は、自分が希望したところに着席して、もくもく作業。今回皆さんが書かれた記事をまとめていただいたところ、以下の通りとなった。

  1. (加筆)江島杉山神社  https://ja.wikipedia.org/wiki/江島杉山神社
  2. (加筆)弥勒寺 (墨田区)  https://ja.wikipedia.org/wiki/弥勒寺_(墨田区)
  3. (加筆)すみだ北斎美術館 https://ja.wikipedia.org/wiki/すみだ北斎美術館
  4. (新規)隅田川両岸景色図巻 https://ja.wikipedia.org/wiki/隅田川両岸景色図巻
  5. (加筆)すみだトリフォニーホール https://ja.wikipedia.org/wiki/すみだトリフォニーホール
  6. (新規)江東楽天地 https://ja.wikipedia.org/wiki/江東楽天地
  7. (加筆)東京楽天地  https://ja.wikipedia.org/wiki/東京楽天地
  8. (新規)江東劇場 https://ja.wikipedia.org/wiki/江東劇場
  9. (新規)本所映画館 https://ja.wikipedia.org/wiki/本所映画館
  10. (加筆)キネカ錦糸町 https://ja.wikipedia.org/wiki/キネカ錦糸町
  11. (新規)吉岡重三郎 https://ja.wikipedia.org/wiki/吉岡重三郎
  12. (新規)那波光正 https://ja.wikipedia.org/wiki/那波光正
  13. (新規)立花大正民家園 旧小山家住宅  https://ja.wikipedia.org/wiki/立花大正民家園_旧小山家住宅
  14. (加筆)隅田川 https://ja.wikipedia.org/wiki/隅田川
  15. 当日のメディア https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Wikipedia_Town_SUMIDA_2022-06

企画を終えて

エディッタソンを毎回終えると、疲労困憊になるのは致し方ないのだが、それ以上にご参加いただける皆様のエネルギーがあり、そこに応えようと毎回の打ち合わせと本番に臨ませていただいた。今回初めてお会いした皆様から、次回もぜひ開催してほしいというお話や次のテーマについてのアイディアが飛んでくるなど、すでに次に向けて動き出せそうだ。

タイムテーブルとにらめっこすると、もう少し江島杉山神社に長くいてもよかったとか、著作権の話をどこまでするかなどは現場で悩んでしまった。次回は地域の方ももっと混ぜた形になると思うので、どう対応していくべきか、運営の皆様とさらに詰めていきたい。

改めて、今回ご参加いただきました皆さま、告知・報告にあたりご協力いただいたウィキメディア財団の皆さまに御礼申し上げます。

この投稿は、私自身以外の著作物部分を除いて、クリエイティブコモンズライセンス(CC-BY)にて公開します。

ウィキペディアタウン対馬をオンラインのつながりで

ファイル:WPT in 対馬 集合写真.jpg by Tsubakurou / CC-BY-SA-4.0

2月12日、対馬市でウィキペディアタウンをオンライン・オフラインのハイブリッドで開催しました。今回の開催に当たっては、clubhouseで毎週木曜日に開催しているルーム「ウィキペディアタウン」からの派生企画として開催しました。

また、今回の開催に当たっては、実際のイベントのほかに、スタッフ向け研修会も含めて実施し、次回以降への開催に向けても継続的に取り組むことを確認しました。

  1. 日程
    1. 2022年2月12日=ウィキペディアタウン講義 +執筆作業 
    2. 2022年2月13日=スタッフ追加講習会
  2. 形式:ハイブリッド開催
  3. スケジュール・会場
    1. 2月11日(金) 10:00~1時間程度
    2. 2月12日(土)午前・午後 10-17時 対馬市交流センター第5・6会議室
      • 10:00-10:15 主催者あいさつ  佐藤
      • 10:15-10:45 ウィキペディアタウンとは  青木
      • 10:45-11:15  ウィキペディアとは Arai
      • Q&Aについて回答する
      • 11:15-12:30  お昼休み
      • 12:30-13:30  ウィキペディアの書き方講習 Arai、青木
      • 13:30-13:45  休憩
      • 13:45-16:15  ウィキペディア執筆(2時間30分)
      • 16:15-16:45  成果発表
      • 16:45-16:50  終了あいさつ、事務連絡 佐藤
      • 17:00 会場撤収
    3. 2月13日(日)15:00~17:00 反省会、今後に向けて。
  4. 資料
    1. 会場に各町史や「対馬の生物」など、一般に手に入らない文献を用意する。
    2. 資料探し:題材が決定後、そのまま図書館で郷土資料を捜索開始(スタッフで資料の当たりを付ける)→図書館の職員も興味を持ってもらえるように(図書館職員は、関心は持ってくれているが、蔵書整理期間中のため2月は不参加)。当日図書館は蔵書点検期間で本の持ち出しができないので、参加者には、あらかじめ準備しておくように伝えておく。
  5. 題材:今後、来てくれる人によって、テーマが絞られてくる予定
  6. まち歩き:なし
  7. 移動手段:なし
  8. 昼食:なし(各自準備)
  9. 物品:テーブル・椅子・プロジェクター、スクリーンは会場のものを使用。Wi-Fiは公民館の会議室利用者であれば、公民館のものを利用できる(5~6人のzoom会議は可能だった実績あり)。説明の時に、講師だけでなく参加者の画面も共有できると事例で説明ができるので、参加者は、なるべくモバイルPCを持ち込めるようにし、zoomを介して行う。
  10. 広報、参加者募集(執筆、見学):人がある程度集まるようであれば、無理に広報しなくても良い。執筆者の参加が多いとWi-Fiが落ちる懸念もある。市民が関心を持つのか調べる必要がある段階なので、グローカル大学に告知するのと、興味がありそうな学校の先生に直接連絡してから他の方法を考える。市の担当から市民の参加者を増やすよう指導があったので、受講見学のみ参加も可とする。高校生は校長先生へ依頼。執筆者用と見学者用の申し込みフォーム(Googleフォーム)をが 作る。先に執筆者を募集し、どんなテーマで記事を書くのか公開して、受講見学希望者の募集をする。協働隊Facebook+αで検討中。
  11. その後のスケジュール:年間数回はやりたい。可能な限り定期的な開催を目指す
  12. 定員:公民館のWi-Fiで5~6人のzoom会議くらいは可能。ポケットWi-Fiも確保する。活動を市民に周知し関心を持っていただけるよう受講、見学のみ(7名予定)の参加も可とし、一般市民の参加を促す。※講師に執筆する受講者が何人まで見られるか確認する。
  13. スタッフ(確定人数):3名(全員執筆チームに参加)
  14. 参加者(執筆):7人:植物の学芸員、植物の研究者、会社社長(郷土史研究もしている)、会社員、高校生 
  15. 開催して目指したいこと:アカデミへの市民参加につなげる、地域資源を自分から発信できるという認識をもってもらう(人任せにしない)、地域を越えた交流につなげる(例:長野と対馬の小学生の交流、対馬から異動した教職員のオンライン参加)、ウィキペディアツーリズム、学んだことをアウトプット(発信)しよう!その手段として、wikipediaを活用する。
  16. 講師の交通、宿泊の手配、謝金:予算から確定。ひとりがリアル、ひとりがオンラインでどうかという提案もされたが、いずれにせよ予算でカバーされない謝金や交通費はビーコンつしまが補填する。まん延防止措置によりオンラインになった場合の対応については確認中。謝金の支払時にマイナンバーが必要になる。
  17. 参加者への確認:パソコンの有無、当日執筆するテーマ(申し込みフォームを作って確認する)
  18. 持ち物:パソコン、Wifiルーター(お持ちであれば)、下書きの文章、著作権フリーにして良い写真、参考文献(関連資料類)、ウィキペディアのアカウント
    ※関連資料類は運営側でも準備
  19. 終了後
    1. 開催報告をウィキペディア上に書く(例:https://ja.wikipedia.org/wiki/PJ:WTOWN/A
    2. 集合写真をアップロード(例=https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Wikipedia_Town_SUMIDA_2021-11

 

すみだの図書館で #1lib1ref 研修を開催

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12月16日、墨田区の図書館で行われた研修会にゲストとしてお呼びいただいた。ウィキペディアタウンではない講習会は、ここ最近参加していなかったので、どんな内容になるのかは未知数だったがご満足いただけたようだ。

通常ウィキペディアタウンで説明している内容から要点を抜粋して説明した。今回の研修会ではウィキメディア財団が行っている取り組みの一つである“#1lib1ref”を館内研修企画として取り組んでしまおうという内容にした。

ja.wikipedia.org

この取り組みの趣旨である「司書一人につき出典一つ (One Librarian, One Reference)」の言葉通り、今回研修会に参加した20名全員が一つの出典を見つけることが出来れば、記事の信頼性は必ず上がるということを伝えて、実際の作業に臨んでもらった。

補足で説明したのは、図書館蔵書として保管しているパンフレット類はウィキペディアの出典として用いることが出来るかどうか、という点である。勿論ケースごとに議論する必要があるとは思うが、自治体や観光協会のウェブサイト等で同様の内容が掲出されている場合は、その内容をウェブ出典として用いることが出来ればベストである。図書館蔵書に加えて、ウェブページへのリンクがあることによって、閲覧者はウェブサイトからさらに詳しい資料や、関連項目へのマッチングも容易に進むことが出来るからである。ウェブへの掲出がない場合においては、図書館に蔵書されているということが必須として出典に用いることはやむを得ないと考えている。

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もう一点は、一つの文献だけではなく同様の情報が他の文献からも発見された場合には、重複で脚注を付与していいのかという点である。勿論、複数の脚注を付与して良いところだが、参照した文献で情報が子となる場合は要注意である。研修会では、ある事象(ここでは関東大震災による火災)による影響を受けた人数が、2冊ある文献で数千人違っているということがわかった。この場合はどのように記載するのがベストであろうかという話題になり、ウィキペディアでは「両論併記」を用いることが多いという説明を行ったところだ。

レクチャーを終えた後、今回の1lib1refの対象6記事が発表された。開始にあたって、A4用紙両面に分割印刷(4頁の内容を片面に収めて)したウィキペディアの記事を、実質先取りで選ぶ。研修参加者は制限時間40分の間に、自身で選択したウィキペディア記事の記述で出典・脚注がないところの典拠を所蔵から探すというミッションに挑む。時間は、あっという間に過ぎ去ってしまうというのは、ウィキペディアイベントあるあるではあるが、この研修も例外ではなく、もう少し時間が欲しそうな雰囲気は強く感じたが、時間は有限なのでやむを得ない。

それぞれの記事ごとに集まり、自身で探し出した典拠情報とその内容について5分でシェア、そのあと全体に向けても各テーブルから1~2分でシェアしていただいた。その発表をうかがっていると、最終的には、研修会参加者の全員が1refどころか、2ref・3refを見つけるという結果となり、上出来だと感じたところであった。今回は2時間の研修ということもあり、記事編集というところまでは至らなかったが、それでも満足していただけたようでありがたい限りであった。

徳島県で初めて開催されたウィキペディアタウンを終えて

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11月7日、徳島県で初めて開催された「ウィキペディアタウン」。阿南市立図書館のバックアップのもと、那賀川図書館の視聴覚室で開催。今回参加したのは総勢10名。阿南市議会選の告示日だったこともあり、選挙カーが走り回っている中、黙々と写真アップと執筆にあたりました。

余談だが、今回の市議選は26名の定数で、29名が立候補されているようで、地方自治体議員選挙で3名が落選するというのはかなりの規模ではないだろうか。などと分析していた。

事業の開始にあたり

今回の実施にあたり、阿南商工会議所から「地域の情報発信を盛んにするためにウィキペディアを使ったらどうかと調べたら、ウィキペディアタウンのことを知った。ウィキペディアタウンを何とか年度内に是非スタートしたい」という趣旨のお願いを頂いたところから始まった。

そこから、何回かのオンラインでの打ち合わせを重ねることになる。今回に限らず、タスクの流れを明示してみると、ウィキペディアタウンの準備は大まかに分類してこんな感じになるが、これを一つ一つ口頭で確認していく。実際、取り組んだ順番もおおよそ以下に提示した通りであるが、ほぼ同時進行で進めていた。

  1. 日程:講師・主催チームのスケジュール出しで決定
  2. 会場:会場候補が決まっていたので日程が確定次第、すぐに最終決定
  3. 題材:担当者がかなりの歴史好きかつ、地元情報にかなり詳しい方だったので候補がいくつも
  4. 資料探し:題材が決定後、そのまま図書館で郷土資料を捜索開始
  5. まち歩き:訪問先へは事前アポ。ガイドは担当者と現地訪問先担当者で
  6. 移動手段:商工会議所メンバーで乗り合わせ
  7. 昼食:プレ開催は、午後一番の開催で昼食後に集合として手配なし
  8. 物品:テーブル・椅子は現地のものを使用。通信は各自で準備(今考えるとやっぱり借りておきたい)
  9. リーフレット作成:プレ開催後に作成。市役所にいっぱい置いてあったのはドキッとした(11月8日)
  10. スケジュール:年間数回はやりたい。可能な限り定期的な開催を目指す
  11. 定員:20名。プレイベントと初回で出来るだけ慣れてもらうことを目指す
  12. スタッフ:商工会議所メンバー(一緒に編集にも参加)

プレ開催

プレ開催は行政関係者の参加がメインということを念頭に、阿南市役所、津乃峰山、船瀬温泉、平等寺 (阿南市)の4記事に取り組むこと、7月31日にプレイベントを開催することを決定した。同時に、年度内開催の日程をすべて決定し、9月・11月・1月の日時も決定した。離れすぎず、近すぎない日程で個人的には心地よい気持ちで開催できており、時期が近づいてくると、遠足前の小学生かのように楽しみになってしまうのは性分だろう。

7月31日は、会場となった那賀川図書館、阿南市や海陽町など周辺自治体の首長や自治体関係者、商工会議所のみなさまで20名を超える人数で開催。「はじめまして」という中で、この20名にどうやってレクチャーを進めるべきか、かなり手間取ってしまったことも事実である。普段、私が開催するワークでは、”ある映画監督を題材にしたダミー記事を用意して、そこから文章を抜き出してみる。そして、その内容で百科事典の記述として使うべきものを議論する”という内容で展開しているが、自分では実感がないものの、好評らしい。
ワークを終えた後に実際の編集に入るが、今回の企画は単発ではなく、長いスパンで取り組みたいということだったので、新規記事作成ではなく加筆修正を中心に展開した。

公開イベントとしては、9月の開催を初回としていたところだったが、ちょうど新型コロナウイルス感染症の感染判明者数が多い状態であったこともあり、開催自体を取りやめることとなってしまった。前日には「考古学・文化財のためのデータサイエンス・サロンonline」がオンラインで開催される予定となっていたことから、開催前に四国入りしていていたこともあり、讃岐うどんのランチ時間に中止を知ってしまうということになった。

徳島県下初の開催

本当の意味での初公開イベントになった11月7日のウィキペディアタウン。2回の事前打ち合わせで執筆テーマをおおよそ固めて当日を迎えた。今回のテーマは「平島公方」。阿波国に公方としてきた足利氏がわずか数百年の間に過ごしてきたいきさつがまとめられているが、出典を含む脚注がほぼ皆無であるということも選定理由の一つになった。そんなこともあり、当日のワークでは、出典の付け方講習にかなりの時間を割いた(と思う)。

今回(初回公開イベント)開催にあたって、商工会議所の担当者は「ウィキペディアタウンの勉強会も開催して、第1回として11月7日に開催できたことは嬉しい。阿南の観光資源となるような題材をウィキペディアに掲載することで、観光客の創生を図りたい。同時に、みんなで勉強がてらやり方を覚えていくことも見据えている。前回のプレ開催の際に、"ウィキペディアは百科事典なので、出典が重視されていること"はかなり配慮した。文献収集の方法も学びながら、楽しんでいきたい。」とのことだった。

街歩きでは、民俗資料館と西光寺を訪れ、現地での視察をじっくり楽しみ、ウィキペディアタウン恒例の時間オーバー(今回は30分)。13時30分からレクチャーを開始し、何とか14時15分には、画像のアップロード作業まで進むことが出来た。

  • 西光寺チーム
    • 出典追加、写真追加
    • おまじない(Wiki記法)を用いた編集の仕方に慣れなかった
    • 脚注(出典)の追加、1件から4件まで増やせた
    • 高橋赤水さんのお墓もあったので追記できた
  • 平島公方チーム
    • 出典追加
    • いつ阿波を出発したのかを明記した
    • 平島公方8代目は文学的活動をされていたので、漢文学のサロンのことを掲載
    • マムシよけ札に関する情報を追記

commons.m.wikimedia.org

反省

自分としての反省は、画像のアップロード作業がかなり難で、時間を取られてしまったこと。コモンズ独特の操作性といい、初見では大変難しいところだった。例えば希望制にするというのも考えたいが、そこは次回への継続課題。また、事前アナウンスを行っていたものの当日までにアカウントが作れていない方がいたことも後々作業を出来なくなる要因となってしまった。いつもならアカウント作成者のような権限で作業をするのだが、なぜかそこに思考を巡らせることが出来なかった。同時に回線はiPadのキャリア回線を使用していたために、投稿ブロックでアカウント作成が出来ない、という事象も発生した。いつもなら出来ていたことが全く出来ていないのは反省しかできないし、むしろ申し訳ない。

anancci.or.jp

ともあれ、次回は1月23日(日)の開催が決まっている。基本的に地元優先ということになるが、徳島に御近い方は是非ご参加いただきたい。

これまでのウィキペディアタウンを振り返ってみる

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これまで横浜で開催された「ウィキペディアタウン ファシリテータ養成講座(2013年)」と2014年国際オープンデータデイ「第5回ウィキペディアタウン横浜」以降、かれこれ多くのウィキペディアタウンに関わらせていただいた。そこで多くのご縁をいただいたことは事実であり、そこからご縁が広がったことも事実である。同時に、私がこれまで歩んできたバックグラウンド(特に中等教育から高等教育にかけて)を相まって、ウィキペディア日本語版管理者の任をいただくことにもつながった。そんなこともあり、これまでのウィキペディアタウン(含むエディッタソン)で関わらせていただいたところをウィキペディア20周年という無理やりな理由をこぎつけてまとめておきたいと思う。

2015年11月、山梨県都留文科大学の司書過程を履修講座と同時に開催されたウィキペディアタウン。学生33名に対して、ウィキペディアン3名と日向先生という組み合わせでトライ。テーブルにスタッフとまで言わないが経験者を付ける必要があると薄々考え始めたのはこの回からだ。

commons.wikimedia.org

続きを読む

コオニユリに囲まれて-千葉・多古光湿原

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7月、千葉県北東部にある横芝光町と多古町にまたがる「多古光湿原」を2回にわたり訪問した。初回訪問となった11日は、最高気温が30度近くになったがほぼ無風の一日で、猛暑の夏を感じる天候であった。今回は不定期な企画として「ウィキペディアツーリズムの試み」と名づけウィキペディアタウンではないツーリズムの試みでの訪問ある。開催は横須賀(2018年9月)、浦和(4月)に続き、3度目。同行者はのりまきさん・ふとまきさん夫妻と地衣類司書さんの4名で現地へ向かったのである。その2週間後には、横芝光町図書館でのウィキペディア編集講習会を開催することになっていた。

横須賀で開催した、ウィキペディアツーリズムの試みについては南陀楼綾繁さんが簡単にレポートしてくださっている。記事中に登場するフルカラーのリーフレットは、のりまきさんと私の合作である。というのと同時に、のりまきさんの前歴も垣間見えるので、是非ご覧いただきたいところである。

fugensha.jp

初回の訪問は食虫植物群落と“タコピザ”へ

訪問前日にあたる10日は翌日に備え、千葉駅前の宿泊施設を予約していたが、それ以外のスケジュールを全く調整していなかったこともあり、出発前夜になってどこに訪れたらよいか悩んでいたが、どうやらその日にスターダストレビューの40周年ツアーが予定されており、予定通り開催されるらしい。年末放送されている「クリスマスの約束」に影響されていた私は、スタレビのベストアルバムも手元にあり、せっかくだから、とお伺いすることにしたのだった。超ノリノリで終えたライブの夜は、かなりぐっすり就寝したことを覚えている。

翌日、千葉駅からのりまきさん・ふとまきさん夫妻と地衣類司書さんと車を走らせて、初めに訪れたのは、食虫植物が多く群集を成している「成東・東金食虫植物群落」である。ここは、1920年に国内初の天然記念物に指定されたエリアである。今年の時点で、約450種の植物が確認されており、その中には8種の食虫植物も植生している。散策できるエリアは約100メートルの遊歩道が2面にそれぞれ整備されていて、開放時間中は自由に散策することが出来る。食虫植物なんていうものは人生で初めて見た私はじっくり草叢の中を観察してしまい、猛暑なのにもかかわらず、先を歩く一行を逆放置するとともに、時間が過ぎることを忘れてしまっていた。約1時間の散策を終えると、身体は火照ってしまっていて2本あった水筒の中身は空っぽになっていた。

昼食の時間を迎えていたこともあり、ランチは「多古ピザ」に訪問。到着時には客席は満席で、外の座席に通してもらう。移動中は“たこピザを食べに行く”という会話が展開されていたことから、海の幸の「タコ」が山のように乗ったピザを食べさせられるのではないか、と妄想がうごめいていたところである。実際にはそんなことはなく、多くの種類から選べることが出来、我々も数種類のピザを選択し、リーズナブルな金額で実食することが出来た。もちろんデザートも忘れることなく、である。

湿原に向かう

お腹が満腹になった一行は、多古光湿原を目指す。湿原は、九十九里浜から数キロほどと近いところにあり、四季それぞれで植物たちが様々な表情を見せてくれる。湿原の中は遊歩道ではなく、自然探検隊が歩くような“道なき道”までとは程遠い土地を歩いていくのだが、一行からはあちらこちらから、多種多様な植物の名前が飛び交うが、隊列が長いことやそもそも何が離されているのかも聞こえてこない。動画用に撮影していたカメラにその会話が記録されていることを信じている*1

2回目の訪問

その2週間後(2回目)の25日も多古光湿原を訪れた。同じルートを歩くと、前回は足元が見えていたはずが、鬱蒼とした植物たちで足が取られる状況になっていた。草原の奥から脚立の上から湿原を眺めてみると、コオニユリの花が咲き乱れ、これはまた圧巻であった。これはドローンで撮影出来たら嬉しいと妄想が膨らむ。

ツーリズムに引き続き、ウィキペディア編集講習会企画が実施されたのは、6月に地衣類司書さんと仲間の皆さんが現地を訪れた際、たまたま現地にいらっしゃった「多古光湿原保存会」のみなさまと会談したことから始まった。会話を深めていくと、どうやら豊富な資料や写真が数多く保有しているということがわかったが、先方からは湿原の資料を使ってウィキペディアに載せてほしいという、執筆に関する話題があったこともあり、すかさず「講習会の開催を!」を叫んでくださったのであった。ここは「受け身にさせてはいけない」というみなさまの心意気に感謝している。

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湿原を見学したメンバーはコオニユリに囲まれて充実の表情

湿原を歩きつくした一行は、横芝光町図書館へ向かう。昼食を道の駅で済ませた後、図書館には、保存会の皆様以外にも「地域おこし協力隊」の皆様、図書館スタッフの皆様が参加者として会場に集結した。今回は、「ウィキペディアタウン」の開催の際に使用しているスライドを中心に、なぜ自分たちでデータをアップロードするのかという点も含めて説明。編集対象として地衣類司書さんが選んだ記事は「多古光湿原」「栗山川」「乾草沼」の3テーマ。横芝光町図書館や千葉県立図書館などにある所蔵資料から執筆対象を選定したという。実際、図書・書籍資料だけではなく新聞縮刷版なども多く並んでいたのが特徴的であった。

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

千葉県の太平洋側は、これまで車で通過することしか経験したことがなかった。正直、横芝光町ってどこやねん!と思って地図アプリを広げていたところだった。と同時に、まさか同月に2回も同じ町を訪れるということは想像していなかったのも事実である。今後も、多古光湿原をきっかけに地域アーカイブが少しでも進むことを願っている。

*1:執筆当時は動画の内容を全く確認できていない

「海の京都」でシーカヤックを満喫する

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横手市で史上最高気温を観測した2021年6月11日。私は京都を歩いていた。それは、12日(土)に京丹後市で開催されるウィキペディアタウンに参加するためである。京丹後市への訪問は、2020年9月以来3回目の訪問になるが、毎回膨大な記事が上がるというスカッとする快感が味わえる。

今回は、午前中にシーカヤックと地域を歩き、午後から執筆するという、かなりアクティビティな開催形態である。水着やサンダル、といったものをどこにしまったのかわからなくなっていた私は、水着を旅への出発前に、サンダルは京都到着後に調達するというスケジュールを組んでみた。今回参加するウィキペディアタウンは、講師ではなく純粋に「シーカヤックを楽しむ、ウィキペディア書いたことある人」で参加させていただいた。

のぞみは新型

10日(木)、京都入りを図ろうと考えた私は、のぞみ号を予約する。新幹線に乗るのも前回の京丹後訪問以来であり、内心ふわふわとしていたところであった。実際入線してきた列車は、新型のぞみ N700S系であった。のぞみ号でも乗り物酔いをすることがある私は、入線時に新型のぞみだとは気づかずに乗り込んだが、内装が異様にキレイで、新車の香りと案内表示のLCD表示で「あれ、これ新型!?」という思考回路につながった。

現在、N700Sの運用状況についてはJR東海のウェブサイトで確認することが出来るが、新型列車に乗り込んだ後にウェブサイトを確認してみたところ、乗った列車の表記はなかった。ある意味で幸運だったのかもしれない。

  • 東京~京都
    • 18:39~20:51 のぞみ251

京都は新築温泉旅館

京都駅に到着したのは、21時ごろ。BGMはオープンデータ京都実践会の青木さんが進行している、トークアプリSNS「Clubhouse」。新幹線を降りた後から、質疑応答に参加したが、当日の話題は「文化財とウィキペディア」。話題はかなり多岐にわたったところであった。

clubhouseで盛り上がっている傍ら、今回のお宿にチェックインする。京都駅北側、七条通りに面している「御宿 野乃 京都七条」。群馬県立図書館に伺うときに前橋でお世話になったドーミーイングループで、2021年1月に開業したばかりの宿泊施設だ。開業から1年経過していないこともあり、館内には畳の香りが広がる。和のテイスト抜群な館内。京都府内も緊急事態宣言中ということもあり、宿泊客はかなり少ないようだ。温泉は少し我慢して、clubhouseと夜食の時間にする。ドーミーイン恒例、夜食の夜鳴きそば(しょうゆラーメン)の提供はこちらでも定例メニューとして用意されている。勿論頂くことにするが、今回の場合は新幹線でほとんど何も口に入れていないので、実質的には夜食ではなく夕食の扱いになってしまった。
www.hotespa.net

clubhouseがクローズした後は、温泉に直行。温泉というのは人間を生き返らせる効果があるのではないかと、強く感じている。源泉運び湯の大浴場フロアは、2層構造になっており、浴槽もいくつかあり、楽しませてくれる。その中で、外気浴の上層フロアは「瞑想の湯」のフロアになっている。私は一目散に瞑想の湯に向かってしまった。だれもいない、独り占めの湯処ほど贅沢な空間はない。寝湯に浸かり、今日一日あったこと、明日から楽しむことに思いを馳せる。なんだかんだで1時間ほど、温泉を楽しみ、明朝のアラームをセットして、25時すぎに就寝。

朝食の前に、朝から温泉に入る。寝ぐせで偏った髪を整えながら、朝食のビュッフェに向かう。京都ならではのメニューがふんだんに並んでおり、目移りしてしてしまう。湯葉メニューが数種類あるのも京都ならではだと勝手に思っている。

のりまきさんのおつかい と 実家のおやつ

少しゆっくり過ごした宿を出発して向かったのは、京都御所南側の堺町御門を背中に、東西に走る丸太町通りから堺町通りを数分歩いたところにある「松屋常盤」。ショーケースもない店内には、おかみさんが一人座っている。こちらで買える菓子「味噌松風」はこれまで歴代天皇にも愛されたという一品。西京味噌と小麦粉に砂糖を加えて練り上げ、表面には黒ゴマとい表情。見た目はカステラといったところだ。

旅行の途中だったこともあり、今回は自宅分を購入せず、のりまきさんとこれから会う方へのお土産として購入した。このあと福知山まで足を延ばすことを伝えると、おかみさんから焼いた時の切れ端を渡してくださり「道中にお食べ」と差し出してくれた。このあと、はしだて号でいただくことになるのだが、これが涙が出るくらいおいしく、生地がへばりつく感じは、カステラとは言えない独特のおいしさだった。

肝心な、中身の写真を撮り忘れたことは、ここだけの秘密にしておいてください...

その足で、東方面に足を進めることにした。行きついた先は、聖護院八ッ橋本店。京都府立図書館がある岡崎公園・平安神宮から北へ少し進んだところにある。かなり暑くなってきたこともあり、お茶を出してくださった。ちょうど慶事が翌週あることもあり、4家族分を購入することにした。

祖父の墓前に供えるのは何が良いか悩んでいたところ、山本本家のお酒と酒粕を使った酒まんじゅうをお勧めしてくださった。6月から販売開始したとのことで実店舗では本店とオンラインでの販売が開始されたばかりだという。日本酒が大好きだった祖父ということもあり、一緒に配送をお願いした。

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世間話に花を咲かせてしまったが、なんだかんだでゆっくりしている時間は残されておらず、京都駅にタクシーでトンボ帰り。

はしだて、丹後の海、いざ福知山へ

12:25 京都発、はしだて5号 久美浜行き。中央改札に帰ってきたのは発車10分前。昼食のことを考えずに山陰線ホームに駆け足で入ると、そこで待っていたのは「丹後の海」だった。前回の京丹後訪問では、大雨の影響で京都からは乗ることが出来なかった丹後の海が、京都駅のホームで私を待っていてくれた。と思ったら、ダッシュした甲斐があったと自分を励ませたのであった。

「丹後の海」だということをリサーチしていなかったこともあり、即座に前から2列目の特等席に予約を変更し、列車に乗り込んだ。定刻に発車したはしだて号は、二条・亀岡・園部・綾部と停車し、13:54に福知山駅に入線した。

今回福知山を訪れたのは、FMたんば放送局に訪れるためであった。この直前までclubhouseで100日連続に挑戦していた放送局長 能戸美香さんとの企画会議のため。みかさんに会うためだけに福知山に行ったといっても過言ではない。駅前から国道9号を渡り、そこから放送局までは上り坂、スーツケースを片手にアップアップになりながら、何とかたどり着いた。

社長さまにもご挨拶さえていただき、トークは「まちが抱える、情報発信の悩みとは」。一部内容は、編集されてオンエアーになると思うので、そちらを楽しみにしていただきたかったり。ものすごくまとめると、福知山でもウィキペディアタウンが出来ればいいのにな。という話題でまとめられる。

ここで、ABC Martに寄り道してもらうという、すごく申し訳ないことをお願いし、翌日のシーカヤックではくためのサンダルを購入。そして、この日のうちに、京丹後市に入らなければならないこともあり、早目の夕食をご一緒させていただくこととなった。夕食は「しあわせを運んでくださる」ラーメン屋「ふくちあん」へ。国道9号沿いにあるこの店は、我々が入った後に続々とお客さんが入り始め、いつのまにか満席になってしまっていた。

あっという間にラーメンと唐揚げを食べ上げた我々は福知山市立中央図書館へ。床がみどり色で、天井が高い開放的な空間が作られている。即座に郷土資料コーナーに向かい、局長と二人で様々な資料をあさり読みしていた。すかさず私も「こんな資料を使ってウィキペディアタウンやるんですよ」とお伝えする。局長は、是非福知山でやりたい、と一人にこにこしていた。

図書館でもあっという間に1時間が過ぎてしまい、タイムアップ。19:02福知山発、たんごリレー5号 網野行き、まさかの連続「丹後の海」。またまたひとりで発狂してしまったが、あっという間に20:16 峰山に到着してしまった。丹後の海の快適さ、本当に恐るべしである。ウィキペディアンのかんた氏と同じ列車に乗っていた。あとから分かったことだが、京都で調べ物を済ませていたらしい。

2泊目にお世話になったのは峰山駅からほど近い、プラザホテル吉翠苑。最上階には大浴場を構える、客室は全68室。今回は、セミダブルベッド・朝食付きで7,000円のプランを予約。ひとり大浴場に浸かり、一日の疲れを癒やし、明日のためのエネルギーを回復する時間となった。

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翌朝はルーティーンのように朝風呂と朝食ビュッフェ。「海の京都認定証」という盾がカウンターに置かれていた。京都は海産物もいっぱいあるんだ、と改めて感じた。そして、おいしいごはんをおなか8分目までいただく。いろいろなメニューが並んでいるので、ぜひ京都産メニューにはラベルがあると嬉しい。

漁港から出発するシーカヤック

峰山市街から車で20分ほど、丹後半島を北に進んだところに今回の執筆対象となる三津漁港がある。最盛期にはまぐろが水揚げされるなど、かなりにぎわった漁港だが、今はその賑わいを感じることはない。そんな漁港の片隅に「三津の灯台珈琲」が建つ。もともと漁港施設だった建物をリノベーションして4月から営業している。

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集合した参加者一同は、はじめに三津で行われていた漁法について学ぶ。かなり大きな網を海に沈め、最後の室(第2箱網)から漁獲する。話によると、マグロは1952年ごろを中心に、最大は8,000本が水揚げされており、保冷施設がない時の話は、池に氷を入れて保管していたという。その後、エチゼンクラゲが大発生したころに数が少なくなってきた。設置されている、定置網は45メートルの許可だが、水深43メートルで設置しているとのこと。どうやら、監査が入るようだ。

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Canon R6 + RF 24-105mm F4 L IS USM f/4.0 1/640s ISO3200

説明を受けた参加者一同は、カヤック班と徒歩班の2班に分かれて、漁港周辺を移動する。用意された2艘のカヤックに、2名ずつが乗り込む。ふと思ったが、ウィキペディアタウンをバス移動ではなく「カヤック移動」というのは史上初ではないだろうか。

初めに、カヤックの漕ぎ方をレクチャーされる。船に乗って、ちょうどつま先にあたるところにパドックを落として漕いで進む。ペアとのペースが合わないと進まない。ブレーキをかけるときは、船に対して垂直にパドックを落とす。陸上で練習してみたが、私の飲み込みは遅かった気がする。

練習を終えたら、実際に乗り込んで大海原を目指しての練習。もう1艘に乗り込んだのが、いかにも体力あります系男子だったこともあり、私はそれに追いつくことはできずに、日本海という大海原に飛び出すことになった。海でのアクティビティの経験がかなり久しぶりだったこともあり、上機嫌でカヤックをこぎ続ける。海から陸地を眺めてみると、地層がななめに見えている。

そのあたりの説明は、YouTube動画にまとめてみたので、見て頂けるとわかりやすい。

youtu.be

カヤックを1時間漕ぎ、手にまめをつくったら、陸地から海を眺める方と入れ替わる。どうやら海岸では定期的に清掃活動が行われているとのことで、カヤック開催日から近い週末にも開催されるとのこと。見ていると発泡スチロール製品やプラスチック製品がかなり散らかっており、これが海洋プラスチック問題の一部なのか


今回編集された記事は、ウィキぺディアに記事があることの影響とは

シーカヤックのあとは、昼食弁当を漁港でいただき、「琴引浜鳴き砂文化館」でウィキペディア記事の編集作業に入った。参加者は好きなテーマに関する文献調査・執筆作業を行う。今回最終的に編集されたのは、次の項目。

  • 徳楽山
  • 京丹後市立三津小学校
  • 網野町三津
  • 山陰海岸ジオパーク
  • 三津漁港

徳楽山、京丹後市立三津小学校、網野町三津の3テーマが今回の新規記事、ジオパーク・三津漁港の記事です。京丹後での開催時には、漱石の猫さんとかんたさんがガッツリ準備して本番に臨まれる。エネルギー量とその効率よい執筆時間能力の運用は、敬服の念に尽きる。*1

執筆開始前のレクチャーで、これまで京丹後に関する記事がどのような影響を与えてきたのか、その一部を伺うことができた。たとえば、ウィキペディアのエディタソンで会場としても開放してくださっていた「ヒカリ美術館」は、新着記事としてウィキペディア日本語版のトップページに1日だけ掲載された。海外居住の方が日本語の情報を見れるという点において、非常に有用。存在を知らなかったらキーワード検索にもならないが、ウィキペディア日本語版のトップに掲載されることで「検索語を知らなくても検索されている状態」を作ることができたというわけだ。

ja.wikipedia.org

実際のビュワー数もツールで確認することができる。平均すると1日367万ビュワーがいる日本語版ウィキペディアの総記事のうち、600アクセスがあった。これはかなりのアクセス実績にあたるところである。

https://pageviews.toolforge.org/?project=ja.wikipedia.org&platform=all-access&agent=user&redirects=0&start=2019-02-01&end=2019-03-31&pages=ヒカリ美術館

京丹後のまちは今後どうなる

あくまで勝手な私の見立てとして捉えていただきたいが、本当の意味でのウィキペディアタウンが出来上がるのではないかと、期待している。まだ、QRコードがあちらこちらに貼られているわけではないが、ウィキペディアと観光の実践例になってほしいと心から思っている。三津のシーカヤックもYouTubeへの取り上げも増えてきている。

www.willer.co.jp

また、直近では京都丹後鉄道の親会社にあたるWILLERが渋谷区とともに京丹後で定額乗り放題の移動手段を提案するなど、ネット社会の中で考える未来の日本を京丹後には映し出しているようにも見える。まだまだ未来は明るい。

*1:私自身はエネルギー量も掛けられる時間も少なくなり気味であって。