ウィキペディア20歳の誕生日 #wp20jpn 一緒に祝いませんか?

qiita.com

いよいよ。ウィキペディアは20歳を迎えます。この度、東京でWikipedia 20 Japanと題した記念イベントを開催することとなった。今回のイベントは、Wikipedia DAYというウィキペディアの誕生日を祝う企画として立ち上げ、ウィキペディア・コミュニティの認知度を上げていこうという意図を込めている。このイベントを開催するにあたり、会場申請を行うのだが、初めにこちらから明示した内容は以下の通りであった。

本件は、インターネット百科事典「ウィキペディア」の開設から2021年1月で20年目を迎えるにあたり、日本国内におけるウィキペディアコミュニティの再認識とさらなる発展の糸口を見出すべく開催するものであります。なお、実行委員会は、本イベント開催のために組織された委員会であり、これまで単独の事業を実施しているわけではありません。

ja.wikipedia.org

公式プログラムは、上記URLに明記されているので確認していただきたいが、初めに明示した目的をどうやって達成するのか、新型コロナウイルス感染症の第3波が襲っているといわれている中で、コミュニティの存在意義はなんなのかを振り返りながら、誕生日を祝いたいと試行錯誤を繰り返している。

企画のきっかけ

企画立案は、昨年度に開催された「ウィキペディアタウン in 秋葉原」であった。その際に参加されていた執筆者や大学の先生との夕食会で、私から「来年にウィキペディアは20歳を迎える」という発言をしたことからであった。夕食会は実質的な企画会議に変貌し、ウィキペディアンについて知る機会、コミュニティについて知る機会、アウトリーチの一つとしてウィキペディアタウンを知る機会の3本立てで進めることが決定した。わずか90分の議論でこの柱まで決まったことは、今思えばかなり衝撃的であった。その時にご参加いただいていた皆様には心から御礼申し上げたい。

次なるコンテンツ立案

その次の打ち合わせでは、アカデミックなコミュニティとの接続という点が話題となり、その部分のコンテンツが追加となる。同時に実行委員会を組織することとなり、6月時点には個別にアポイントを行い、実行委員会が確立されていったところであった。これら、4本の柱からプログラムを落とし込んでいくうちに、これまでウィキペディア・コミュニティで開催されたイベントを参考にしながら、ほぼ最終形のプログラムが完成する。

オープニングセッションが決まる

最後に追加されたプログラムは、「ウィキペディアの外から見たウィキペディア」という観点であった。2020年11月に図書館総合展ONLINEで開催された「図書館(仮)リ・デザイン会議」のオンラインイベント後に開かれたミッドナイトトークで、以前まで京都府図にいらっしゃった福島さんからご指摘をいただき、ふと脳内で考えた。

Wikipediaの外から見たウィキペディアを共有する要素が少し足りなかったな...と思う。もう少し脳内検討しながらコネクションをあたろうかと思いますが、20年できたことはなんなのかを少しでもフィードバックできるようなものを作りたい。一番最初のセッションにしたらオープングセッションとかにできるか。とかとか。

その上で、自分が導き出した結論はこうなった*1

外部がウィキペディアをどう見ているのか、20年でその地位は大きくアップデートされた。その中で知識情報基盤としてのウィキペディアはどうとらえるべきなのか、どう変化したのか。20年できたことはなんなのか。海外に比べてウィキペディアの質の問題はあるが、真剣に質を高めてほしい。外部から見たウィキペディアの立ち位置を提示するセッションを追加したい。

最終的には、オープニングセッションという形になり、総務省の「地域情報化アドバイザー」を務められている 東修作さんにお願いすることになった。打ち合わせを重ねていくと、東日本大震災がある意味でターニングポイントになったという話を伺えたりと、かなり濃いお話がお願いできそうだ。自分でもワクワクしてきている。

最後に

再三になるが、今回のイベントはウィキペディアの誕生日を祝うととともに、コミュニティを振り返りながら、未来の話も含めている。これまでウィキペディアのコミュニティがどう変化してきたのか、知ることが出来る貴重な機会にできると自負している。

個人的にはかなり軽い気持ちで参加していただきたいと願っているところだ。

*1:実行委員会内部議論における自身の発言より

人生2回目「丹後の海」、海と湖のウィキペディアタウンを振り返る

9月末のイベント報告記事の執筆期間を3ケ月を要して、完成させずに12月まで引き延ばしてしまったのは、COVID-19の対応で自宅PCも自分のノートブックPCとMacBookも開く前に就寝してしまっていることだということでご容赦ください。

2020年9月26日、東京・スウェーデン大使館でのWikiGapを終えたのち、秋葉原へ。MacBook Airを充電するためのType Cケーブルを自宅に置き去りにしたことや、ロングケーブルを購入したいという欲望もあり、ヨドバシカメラでカメラと接続で使えるテザーケーブルを購入。

amzn.to

東京から天橋立へひとっ飛び。たどり着けるか不安になる。

東京駅で行きつけのお店で軽く夕食を取ったあと、新幹線で京都へ。のぞみ号は人も少なめ。ゆったりと写真編集に挑めると思ったら、N700系の微振動で乗り物酔いがかなりひどい状況になり断念。最初からやるべきではなかったと反省している。今回は天橋立方面の最終乗り継ぎ列車になるので、乗り遅れないように注意しながら京都に降り立った。

京都駅から山陰本線は突出し式ホームにある。ちょうど乗車が始まったタイミングだったが、違和感を覚える。乗ろうとしていたのは、京都丹後鉄道「丹後の海」車両で宮津までディーゼルカーで楽しむはずだったのがJR車両が止まっている。しかも福知山止まり。すごく恐怖心を覚えて京都のみなさんに連絡を取る。大雨で運転見合わせが発生して、どうやら丹後の海が京都まで来れなかったようである。福知山で足止めという最悪の事態も想定しながら、はしだて9号に乗り込む。先頭車両に乗っているのは私を含めて3人。京都20時台の特急というのはこのくらいの混雑なのだろうかと、不安になりながら、月明かりしかない鉄路を走り続ける。

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京都駅に止まっているJRはしだて。

福知山止まりとなったはしだて9号は、JR下りホームに数分遅れで滑り込んだ。降りる人も多いわけではなく、ひっそりとしている。そこから駅員さんに誘導されるように、JR上りホームに案内される。そこには待ち望んでいた「丹後の海」がエンジン音を轟かせて止まっている。どうやら宮津までは行けるようだ。見た感じ、JRはしだて9号から丹後の海はしだて9号に乗り継いだのは私以外に2〜3人。どんどん人がいなくなっていく。

丹後の海は、最前席に陣取った。車両には私以外の人はいない。暗闇のライトに照らし出される車窓を眺めながら宮津を目指す。福知山から約30分で到着したが、こんなに近いのか、と改めて感じた。丹後の海は宮津から西舞鶴まで普通列車として運転するようだが、乗客は少ない...。私はくまなく内装を見学して、宮津に降り立った。

シックな外観を写真に収めることで精一杯だった。暗闇の中に映し出される青い車体。そのシルエットは背筋が冷たくなるほどスタイリッシュ。

宮津駅で乗り継ぐはずの列車は発車時刻になってもやってこない。発車案内はいつのまにか消灯しており、また不安が過ぎる。乗り継げなかったわけではないはず。丹後の海を担当された車掌さんにお伺いしたところ、待ってれば来ます、との強い言葉をいただき、しばらく宮津駅で待つこととなる。

23時直前、踏切の音が急になり出し1両のディーゼル車両が入線してきた。網野行き、最終列車である。乗ったのは3人。開いていたパソコンを急いで片付け、1つとなりの天橋立で下車する。

  • 東京〜京都
    • 18:00〜20:16 のぞみ101
  • 京都〜福知山
    • 20:37〜21:59+3min 5089D はしだて9号(JR車両での運転、福知山止に変更)
  • 福知山〜宮津
    • 22:00+12min 〜 22:29+12min 5089D はしだて9号 宮津行(丹後の海、福知山始発に変更)
  • 宮津〜天橋立
    • 22:49+8min〜22:56+8min 353D 普通網野行最終

天橋立駅は、だれもいない。乗ってきた長距離きっぷを運転手に見せて降り立つ。私ともう一人乗車しており、その人は駐車場に止めていた車を運転して駅から出発して行った。

今回の宿は、駅前にある「天橋立ホテル」。最終電車で来るような宿ではないことは重々承知していたが、ここ最近は温泉に行きたい症候群が抑えられないこともあり、福知山ではなくここにした。チェックインを済ませ、すぐに温泉へ。もちろん誰もいない。サウナとソルトスパは新型コロナウイルス感染症拡大防止のため休業中とのことだが私には関係ない。私が求めていたのは、温泉である。

www.amanohashidate-htl.co.jp

天橋立温泉の源泉は、かなりぬるめの温度である。「32度台の源泉」と成分表に書いてあることを読み飛ばして入った私は夜中の露天風呂で叫んでしまった。完全なる失態である。ウィキペディアンであるなら、事前に温泉の記事くらい読んでおけ、とツッコミをいただきそうなところである。深夜と朝の2回入浴して、ぽかぽかしながら会場に向かう列車に乗り込んだ。

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温泉タンクが駅前にあるのはかなり印象的

会場は旅館。そこからまちあるき。

「海と湖のウィキペディアタウン」の会場となったのは、「離湖(はなれこ)」にほど近い、旅館「いながき」さん。入口では体温測定が徹底され、私も検温を受けた。

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旅館いながき。住宅街の一角に構える。

入館すると大量の資料やテレビ・電源タップが運び込まれていた。その機材量に驚きを隠せず、焦っていた。大都市圏だとレンタルして配送するレベルの機材。最終的に集まった、参加者はスタッフを入れて総勢20名以上。高校生から市議会議員さんまで幅広い年代・職業の方が集まった。

www.nakisuna.jp

自己紹介を終えると、今回歩く町について説明される。川・湖など様々な固有名詞が頭がいっぱいになるほど登場する。壁には国土地理院の地形図が掲出され、私の心をくすぐる。話を聞いているより、地形図に描かれた湖は意外と大きく感じた。

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湖の上にそびえる山。

実際に歩いてみると、離湖の上には島風の離山(はなれやま)がそびえたち、湖全体の雰囲気を見通すことはできない。一行は、湖の上に立つ山へ足を踏み入れた。最初に行った広場には、ここに寺院があった碑が建てられている。以前、ここには龍献寺(りょうごんじ)という寺院があったといわれている。火災があったからというのは定かだそうだが、殿様を怒らせてしまったことによって反感を買い火を付けられてしまったとのこと。また、山頂近くには離山古墳があり、直径15メートル、高さ2.2メートル。石室は四世紀代の前期古墳にみられる竪穴式石室とは違い、竪穴系横口式石室の系列らしい。

古墳から足を進めると神社が現れる。弁天様と呼ばれる神社は湖からまっすぐ階段で上がってくる位置に配置されている。モルタルで固められている階段だが、かなりの急こう配。山頂側から降り続けている我々も怖さを感じるほどである。

湖から会場に戻って歩く我々の傍らには、歓迎するようにコスモスが咲き乱れる。

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湖畔に咲き誇るコスモスたち。

執筆開始、グループはおおまかに3分割

大まかに分かれたのは、八丁浜・樋越川・離湖の記事執筆グループ。私は網野高校のメンバーと八丁浜のグループに入りました。参加した高校生ははじめに、各文献に明記されている事項と資料の名前とページ番号をA5判の紙(情報カード)に書き出す作業からスタート。私からは、資料の内容をそのままコピーするのではなく、自分の言葉でまとめてみること、それが難しいのであれば、文脈を箇条書きにして書き出すことをポイントとしてお願いした。

同時に、今回ワークショップの進行を務めてくださっている漱石の猫さんから、八丁浜にはどんな要素があるだろうかと話題を投げかけてくださった。自然科学的な要素と人文社会的な要素。後者は今回で言うと観光にあたるところだろうか、という投げかけである。最終的な形は記事を見て頂きたい。

ja.wikipedia.org

高校生にとってはかなり短い時間となったが、高校生にとって有意義な時間を提供できたのではないかと思っている。

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宿泊したら...半沢直樹

その夜は、講師とファシリテーターは、旅館に宿泊させていただいた。当日のごはん、お米はお代わり自由。どんどんおなかが膨れる。地の物が本当においしい。筍の炊き込みご飯が夕食に出されたのですが、私はガンガンお替りしてしまいました。実際のところ、5膳くらい食べていた。

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いながきのあさごはん。

満足していたのち、その日は「半沢直樹」の最終回。しぐれさんと二人でテレビにかじりついて発狂していたことは個々だけの秘密にしておいてください。

スウェーデン大使館の主催事業として最後のWikiGap

2020年9月26日土曜日。東京は直前のシルバーウィーク後、初めての週末となったが、静かな朝の時間が流れている。渋谷駅に降り立った私は、濡れた地面と再開発が続いている東口・宮益口や建物を眺めながら、8時46分発新橋駅行のバス、都01系統に乗り込んだ。

土曜の朝時間ということもあるのか、乗客は私を含めて5人。バスは首都高渋谷線に合わせた六本木通りˇを走る。この時間にスーツケースと大きな一眼レフカメラを2台抱えたカメラマンはバスの車内で異様な空気感を醸し出していたせいか、小さなこどもの視線を感じた。もちろん笑顔で返すのが私の通常運転。そんなことをしていると、9時ちょうど、六本木一丁目駅バス停に到着する。

バス停は首都高速渋谷線と都心環状線が交わる、谷町JCTの真下。都心に来たことを強く感じる風景である。ここ最近六本木や表参道などは歩いていなかったこともあり、東京の冷たい風を感じた気がする。

歩道橋から泉ガーデンに歩いたところにあるスターバックスコーヒーで、朝食のワッフルを購入。そのままエスカレーターで登っていく。スウェーデン大使館までエスカレーターでアクセスできるのはすごく楽である。

到着すると、そこには逃亡者さんがスタンバイされていた。続々とウィキペディアンも到着して打ち合わせを行う。今日のスケジュール、終盤に審査を行うことなどを確認した。開始前のタイムキーピングをしながら、私は撮影用カメラを準備する。イベントは少し遅れてスタートした。会場には20人ほどの参加者が集まっていた。

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Canon EOS R5 + EF 24-105mm F4 IS II USM f/2 1/40s ISO125

今回のプログラムは、海獺氏・さえぼー氏のレクチャーのあと、実際の編集作業が展開される。両氏の話はかなりの回数を聞いている自信があるが、何度聞いても新鮮さを感じる。自分には真似できないことで毎回羨ましくみている。

レクチャーを終えると、実際の執筆作業が始まる。大使館は図書館ではないので資料が準備されているわけではない。そのため今回のWikiGapは参加者がそれぞれの資料を持ち寄って参加する。どの参加者かは記憶が飛んでいるがかなりの枚数の資料をコピーして大使館まで持ってきた方もいて、強烈な印象であった。また、同時進行でNDL関西館でも執筆が進んでいるとの情報もあった。

シェフ特製のライトミールが用意され、今回は野菜しか使っていないメニューとの紹介を受ける。たまねぎが甘い。ポテトチップも配られ、キーボードではなくて食が進んでしまった。

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Canon EOS R5 + EF 24-105mm F4 IS II USM f/8 1/60s ISO8000

プログラム中に出来上がった記事は、こやすさんのところに情報が集まってくる。これをGoogle スプレッドシートにまとめていく作業がコツコツ展開されていく。当日のオンサイト(スウェーデン大使館)で24本、オンラインで66本の計90本作成された。同時に、大使館によるコンペティションも開催される。最後には、zoom中継で発表され、会場とオンラインで拍手が送られた。

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Canon EOS R5 + EF 24-105mm F4 IS II USM f/4 1/80s ISO4000

  • グランプリ 「ロース・オニール」Deer Hunterさん
  • 優秀賞 「田中ふさ子」Sugpeeさん
  • 優秀賞 「松岡朝」こちずふぁんさん
  • たくさん書いてくれてありがとう賞 「高橋瑞子」逃亡者さん
  • 新人賞 「マミー・フィップス・クラーク」Yukis888さん

wikigap.jp

今回のイベントは、スウェーデン大使館主催事業としては最後のWikiGapとなった。なお、これまで使ったグッズなどは、貸出可能とのことだ。

Go to トラベルのネット申請を済ませる

世の中を様々な意味で騒がせている「Go to トラベル」。7月の4連休+1日休みで訪れた「苗場」「松本」「上諏訪」の温泉宿泊料の還付手続きを済ませた。今回の政策はどのような支払いスキームになるか公表当時は未定だったこともあり、支払については現地で行うことにした。ウェブの申請フォームは、項目数が多いので、すこしためらってしまったが、よく読むと同時に3宿泊までを申請できるような形式になっていた。3回同じ内容を入力するよりは楽なのは言うまでもない。実際のところ、正確にいつ振り込まれるのかなどはわからないが、当分先になるだろうと思っている。

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ネット還付申請のフォーム

今回の宿泊料金からいくら割引(還付)されるのかを試算した。この3泊での宿泊費合計は29,200円となる。その35%が割引となるので、10,220円が戻ってくる計算になり、実質的な宿泊費は18,920円となる*1。3泊の平均1泊分以上が還付されることになるのは、個人的にはかなりうれしい。

適切な感染予防策を行ったうえで、できればもう少しだけGo to トラベル、してみたい。自分にできることは何か、改めて考える。

*1:合計からの還付計算や単一からの計算など、多少の計算誤差はあり得る

清津峡は水の上で写真を撮る。

越後湯沢温泉に2泊して、新潟県内を動いた今回の旅。コンダクターを務めてくださったのは、新潟のめぐろさん、同行してくれたのはウィキペディアのエディッタソンで知り合った、みやざわくん。Tシャツの表はCanon EOS R、裏面は液晶表示と「おれに一眼を与えろ」と言わんばかりのアピールを頂戴した。

新潟県十日町市にある「清津峡」、自然が作り出した絶景である。朝10時前に越後湯沢から車を走らせること40分。国道354号を走ると、山の中で分かれ道が現れる。そこからさらに、トンネルをいくつか抜けると「清津峡トンネル」にたどり着くことが出来る。国の天然記念物や日本三大渓谷にも大渓谷にも指定されていることもあってか、適度に暑い日だったが、午前中をめがけて来場される方は多く、駐車場には続々と車が流れ込む。 ja.wikipedia.org

清津峡トンネルは、十日町市を中心に2000年から開催される芸術祭「越後妻有アートトリエンナーレ(えちご・つまり)」における作品の一つとして2018年にリニューアルされた。一度行われた芸術祭が継続しながら、新しい作品を生み出し続けているのには、尊敬の念も覚える。町の中には黄色の逆三角形で表現されたロゴマークがいくつも表示され、作品やスポットへの案内を示している。正直道に迷うことは少なったと思う。

www.echigo-tsumari.jp

トンネルは駐車場から歩いていくと急に現れた、というのが正直な印象だ。まっすぐな道の途中からトンネルではなく、トンネル入り口でキリっと曲がっている。中の蛍光灯は、区間ごとに色が変化していく。それはまるで、白に迷い込んだような錯覚さえ与えてくれる。

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Canon EOS R + EF 24-105mm F4 IS USM f/5.6 1/125s ISO100

全長700メートルを超える長いトンネルの最後には、急に広い空間が現れる。ステンレスの板と沢から湧き出た水が作り出す「鏡の空間」が来たものを驚かす。沢の水はとても冷たく、それと外景を映し出す天井の板にはみどりが映る。感情を映す鏡とも言ってよいだろう。トンネルの中は適度なソーシャルディスタンスがとられていたが、この空間だけはあまりの人の多さに驚きを隠せなかった。

とはいえ、短く見積もってもこの涼しい空間に30分は滞在したが、老若男女問わず「水の鏡の上」で写真を撮る姿を見ていると、トリエンナーレが意図するところを達成できているようにも思えた。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kiyotsu_Gorge_2020-08-09_(1)_sa.jpg
Canon EOS R5 + EF 24-105mm F4 IS USM f/5.6 1/500s ISO100

そろそろ..。と思い、トンネルの外に出ると、もう世界が違う。トンネル内は一定の気温に抑えられていたこともあり、かなり快適であった。まるで山の上と下界の差をこの短時間で感じたようなものだ。それを少しでも紛らわせるために、水分補給を目的に外に泊まっていたキッチンカーに立ち寄った。十日町周辺で営業しているカレー屋さんとのこと。辛い物がかなり苦手な私にとっては、たぶんカレーを食することはできないだろうと思いつつ、シソジュースをオーダーする。

www.instagram.com

甘さがかなり抑えられたジュースは、まるで薬のようにのどを流れていく。ガツンとせめてくる中にもシソの香りがのどから広がっていくのがわかる。ここまでのシソジュースは飲んだ記憶がない。ジュースと一緒に渡された紙ストローがその形を維持できなくなるまで私は飲み干すことができなかった。

松川村バッグが夏休み中の私の御伴

第二の故郷、信州。7月の連休後半、穂高駅前まで人を送迎するミッションが発生したが、人を下ろした後は多少時間の余裕が出来た。ふと地図を開くと松川が近いと出てくる。車で20分なら全く問題なく往復できる。そう判断した私は、ウィキペディアタウンの興奮を思い出してしまった。

araisyohei.hatenadiary.org

今回は一人旅ということもあり、松川村図書館を突撃訪問して、オリジナルグッズを購入。このバック、とても大きくて一眼カメラ2台、パソコンがしっかりと収められます。ウィキペディアタウンの散策にはとても使いやすい。これ500円である。デザインが好みに合致したというのももちろんあるのだが、正直、某大型倉庫型量販店のクーラーバックの機能性と大差ないと思ってしまうのは気のせいだろうか。もちろん、それぞれ目的が違うので一概に比較することはできないのだが、★3つと高らかに叫びたいところである。図書館グッズ機能性コンテストとか展開したら、それで使うものをそろえてみたい。

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Canon EOS R+EF 24-105mm IS USM

容量の話になるが、普段はビジネスバックにカメラを入れているので必然的に重量が大きくなってしまうのだが、これからカバン一つで取材にも写真ロケにも行けてしまう。このお盆休みはこのバックと共に過ごしていました。泊まりでもこれ一つでいける気がしてきた。

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Canon EOS R+EF 24-105mm IS USM

館内には、読書スタンプラリーの症状も飾られていた。見ればおなじみの館長姓で症状のサンプルが作られていた。この村の子どもたちはこうやって大きくなっていくんだろうな。と読書嫌いの私はふと思ったのであった。

夏休み、はじめての苗場プリンスホテル。

7月23日。東京オリンピック2020が予定通り開催されていたら、五輪フィーバーで日本中が盛り上がっていたのだろう。五輪の文字はうそのように日本中はコロナ禍の4連休を迎えている。そんな中、各地で休業していた宿泊施設やレジャー施設が一斉に動き出した。新潟県湯沢の苗場プリンスホテルもその一つ。

www.princehotels.co.jp

元々は、4連休なのにもかかわらず苗場プリンスホテルのペア宿泊素泊まりの価格が東京のビジネスホテル並み料金設定になり、当日に予約して出発したことから始まる。苗場プリンスホテルは前述した通りその日から営業開始になったこともあり、この料金設定になったのだろう。今回予約したのは、「三密フリー」大自然を満喫♪レジャーチケット付きプラン(朝食付き)、ツインルームのプラン。1名だと1万5千円、2名だと2万1千円。これには、1人あたり1,000円の苗場で楽しめる「レジャーチケット」が付いてくる。カヌー、バギーなど種目も多く、家族連れでも年齢層が幅広くても楽しめるプランニングが施されている。

夕刻、一度ホテルにチェックインしたが、宿泊客が多量ということもなく、ソーシャルディスタンスを守った上でチェックイン手続きができた。客室もすべて消毒されているとのことで、消毒済みの客室にはステッカーが貼られている。ウェブ検索をしてみるとどうやらプリンスホテル全社での取り組みとのことで、妙に納得してしまった。

#苗場プリンスホテル 、人生初。ゆっくり一泊。二人ならビジネスホテル並みの価格プランあります(笑

夕食は、新潟方面に足を延ばし「すし道楽」へ。かに道楽ではない。ユニークなメニューも散りばめられている回転すし店だが、掘りごたつ式のテーブルには店員さんが直接すしを配達してくださる。それに便乗して新潟県産牛などをポンポン注文してしまったのは事実。自分の心を癒す術を見出し、道楽してしまった。

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Canon EOS R+EF 24-105mm 1/60s f/4.0 ISO2500

翌日は苗場スキー場の斜面を利用したアトラクションを午前中いっぱい、しっかり楽しみました。玄関ではお迎えの儀式(エアーで動いているだけですが)が展開されていましたが、お客さんは総勢60人ほど。それ以外にキャンプ場に来ている方も多くいらっしゃいました。

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Canon EOS R + EF24-105mm F2 IS USM f/22 1/25s

スキー場の中ではバギーに乗ることができます。大人3人でスキー場の傾斜を縦横無尽に走りつくしてもらいました。かなり楽しい(笑)。かなり揺れるのでピンがあっていないのはお許しください。

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Canon EOS R + EF 24-105mm F4 IS USM f/4.5 1/400s ISO100

初夏のひと時、苗場で家族ゆったりというのはいかがでしょうか。