人生2回目「丹後の海」、海と湖のウィキペディアタウンを振り返る

9月末のイベント報告記事の執筆期間を3ケ月を要して、完成させずに12月まで引き延ばしてしまったのは、COVID-19の対応で自宅PCも自分のノートブックPCとMacBookも開く前に就寝してしまっていることだということでご容赦ください。

2020年9月26日、東京・スウェーデン大使館でのWikiGapを終えたのち、秋葉原へ。MacBook Airを充電するためのType Cケーブルを自宅に置き去りにしたことや、ロングケーブルを購入したいという欲望もあり、ヨドバシカメラでカメラと接続で使えるテザーケーブルを購入。

amzn.to

東京から天橋立へひとっ飛び。たどり着けるか不安になる。

東京駅で行きつけのお店で軽く夕食を取ったあと、新幹線で京都へ。のぞみ号は人も少なめ。ゆったりと写真編集に挑めると思ったら、N700系の微振動で乗り物酔いがかなりひどい状況になり断念。最初からやるべきではなかったと反省している。今回は天橋立方面の最終乗り継ぎ列車になるので、乗り遅れないように注意しながら京都に降り立った。

京都駅から山陰本線は突出し式ホームにある。ちょうど乗車が始まったタイミングだったが、違和感を覚える。乗ろうとしていたのは、京都丹後鉄道「丹後の海」車両で宮津までディーゼルカーで楽しむはずだったのがJR車両が止まっている。しかも福知山止まり。すごく恐怖心を覚えて京都のみなさんに連絡を取る。大雨で運転見合わせが発生して、どうやら丹後の海が京都まで来れなかったようである。福知山で足止めという最悪の事態も想定しながら、はしだて9号に乗り込む。先頭車両に乗っているのは私を含めて3人。京都20時台の特急というのはこのくらいの混雑なのだろうかと、不安になりながら、月明かりしかない鉄路を走り続ける。

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京都駅に止まっているJRはしだて。

福知山止まりとなったはしだて9号は、JR下りホームに数分遅れで滑り込んだ。降りる人も多いわけではなく、ひっそりとしている。そこから駅員さんに誘導されるように、JR上りホームに案内される。そこには待ち望んでいた「丹後の海」がエンジン音を轟かせて止まっている。どうやら宮津までは行けるようだ。見た感じ、JRはしだて9号から丹後の海はしだて9号に乗り継いだのは私以外に2〜3人。どんどん人がいなくなっていく。

丹後の海は、最前席に陣取った。車両には私以外の人はいない。暗闇のライトに照らし出される車窓を眺めながら宮津を目指す。福知山から約30分で到着したが、こんなに近いのか、と改めて感じた。丹後の海は宮津から西舞鶴まで普通列車として運転するようだが、乗客は少ない...。私はくまなく内装を見学して、宮津に降り立った。

シックな外観を写真に収めることで精一杯だった。暗闇の中に映し出される青い車体。そのシルエットは背筋が冷たくなるほどスタイリッシュ。

宮津駅で乗り継ぐはずの列車は発車時刻になってもやってこない。発車案内はいつのまにか消灯しており、また不安が過ぎる。乗り継げなかったわけではないはず。丹後の海を担当された車掌さんにお伺いしたところ、待ってれば来ます、との強い言葉をいただき、しばらく宮津駅で待つこととなる。

23時直前、踏切の音が急になり出し1両のディーゼル車両が入線してきた。網野行き、最終列車である。乗ったのは3人。開いていたパソコンを急いで片付け、1つとなりの天橋立で下車する。

  • 東京〜京都
    • 18:00〜20:16 のぞみ101
  • 京都〜福知山
    • 20:37〜21:59+3min 5089D はしだて9号(JR車両での運転、福知山止に変更)
  • 福知山〜宮津
    • 22:00+12min 〜 22:29+12min 5089D はしだて9号 宮津行(丹後の海、福知山始発に変更)
  • 宮津〜天橋立
    • 22:49+8min〜22:56+8min 353D 普通網野行最終

天橋立駅は、だれもいない。乗ってきた長距離きっぷを運転手に見せて降り立つ。私ともう一人乗車しており、その人は駐車場に止めていた車を運転して駅から出発して行った。

今回の宿は、駅前にある「天橋立ホテル」。最終電車で来るような宿ではないことは重々承知していたが、ここ最近は温泉に行きたい症候群が抑えられないこともあり、福知山ではなくここにした。チェックインを済ませ、すぐに温泉へ。もちろん誰もいない。サウナとソルトスパは新型コロナウイルス感染症拡大防止のため休業中とのことだが私には関係ない。私が求めていたのは、温泉である。

www.amanohashidate-htl.co.jp

天橋立温泉の源泉は、かなりぬるめの温度である。「32度台の源泉」と成分表に書いてあることを読み飛ばして入った私は夜中の露天風呂で叫んでしまった。完全なる失態である。ウィキペディアンであるなら、事前に温泉の記事くらい読んでおけ、とツッコミをいただきそうなところである。深夜と朝の2回入浴して、ぽかぽかしながら会場に向かう列車に乗り込んだ。

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温泉タンクが駅前にあるのはかなり印象的

会場は旅館。そこからまちあるき。

「海と湖のウィキペディアタウン」の会場となったのは、「離湖(はなれこ)」にほど近い、旅館「いながき」さん。入口では体温測定が徹底され、私も検温を受けた。

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旅館いながき。住宅街の一角に構える。

入館すると大量の資料やテレビ・電源タップが運び込まれていた。その機材量に驚きを隠せず、焦っていた。大都市圏だとレンタルして配送するレベルの機材。最終的に集まった、参加者はスタッフを入れて総勢20名以上。高校生から市議会議員さんまで幅広い年代・職業の方が集まった。

www.nakisuna.jp

自己紹介を終えると、今回歩く町について説明される。川・湖など様々な固有名詞が頭がいっぱいになるほど登場する。壁には国土地理院の地形図が掲出され、私の心をくすぐる。話を聞いているより、地形図に描かれた湖は意外と大きく感じた。

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湖の上にそびえる山。

実際に歩いてみると、離湖の上には島風の離山(はなれやま)がそびえたち、湖全体の雰囲気を見通すことはできない。一行は、湖の上に立つ山へ足を踏み入れた。最初に行った広場には、ここに寺院があった碑が建てられている。以前、ここには龍献寺(りょうごんじ)という寺院があったといわれている。火災があったからというのは定かだそうだが、殿様を怒らせてしまったことによって反感を買い火を付けられてしまったとのこと。また、山頂近くには離山古墳があり、直径15メートル、高さ2.2メートル。石室は四世紀代の前期古墳にみられる竪穴式石室とは違い、竪穴系横口式石室の系列らしい。

古墳から足を進めると神社が現れる。弁天様と呼ばれる神社は湖からまっすぐ階段で上がってくる位置に配置されている。モルタルで固められている階段だが、かなりの急こう配。山頂側から降り続けている我々も怖さを感じるほどである。

湖から会場に戻って歩く我々の傍らには、歓迎するようにコスモスが咲き乱れる。

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湖畔に咲き誇るコスモスたち。

執筆開始、グループはおおまかに3分割

大まかに分かれたのは、八丁浜・樋越川・離湖の記事執筆グループ。私は網野高校のメンバーと八丁浜のグループに入りました。参加した高校生ははじめに、各文献に明記されている事項と資料の名前とページ番号をA5判の紙(情報カード)に書き出す作業からスタート。私からは、資料の内容をそのままコピーするのではなく、自分の言葉でまとめてみること、それが難しいのであれば、文脈を箇条書きにして書き出すことをポイントとしてお願いした。

同時に、今回ワークショップの進行を務めてくださっている漱石の猫さんから、八丁浜にはどんな要素があるだろうかと話題を投げかけてくださった。自然科学的な要素と人文社会的な要素。後者は今回で言うと観光にあたるところだろうか、という投げかけである。最終的な形は記事を見て頂きたい。

ja.wikipedia.org

高校生にとってはかなり短い時間となったが、高校生にとって有意義な時間を提供できたのではないかと思っている。

commons.wikimedia.org

宿泊したら...半沢直樹

その夜は、講師とファシリテーターは、旅館に宿泊させていただいた。当日のごはん、お米はお代わり自由。どんどんおなかが膨れる。地の物が本当においしい。筍の炊き込みご飯が夕食に出されたのですが、私はガンガンお替りしてしまいました。実際のところ、5膳くらい食べていた。

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いながきのあさごはん。

満足していたのち、その日は「半沢直樹」の最終回。しぐれさんと二人でテレビにかじりついて発狂していたことは個々だけの秘密にしておいてください。