「海の京都」でシーカヤックを満喫する

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横手市で史上最高気温を観測した2021年6月11日。私は京都を歩いていた。それは、12日(土)に京丹後市で開催されるウィキペディアタウンに参加するためである。京丹後市への訪問は、2020年9月以来3回目の訪問になるが、毎回膨大な記事が上がるというスカッとする快感が味わえる。

今回は、午前中にシーカヤックと地域を歩き、午後から執筆するという、かなりアクティビティな開催形態である。水着やサンダル、といったものをどこにしまったのかわからなくなっていた私は、水着を旅への出発前に、サンダルは京都到着後に調達するというスケジュールを組んでみた。今回参加するウィキペディアタウンは、講師ではなく純粋に「シーカヤックを楽しむ、ウィキペディア書いたことある人」で参加させていただいた。

のぞみは新型

10日(木)、京都入りを図ろうと考えた私は、のぞみ号を予約する。新幹線に乗るのも前回の京丹後訪問以来であり、内心ふわふわとしていたところであった。実際入線してきた列車は、新型のぞみ N700S系であった。のぞみ号でも乗り物酔いをすることがある私は、入線時に新型のぞみだとは気づかずに乗り込んだが、内装が異様にキレイで、新車の香りと案内表示のLCD表示で「あれ、これ新型!?」という思考回路につながった。

現在、N700Sの運用状況についてはJR東海のウェブサイトで確認することが出来るが、新型列車に乗り込んだ後にウェブサイトを確認してみたところ、乗った列車の表記はなかった。ある意味で幸運だったのかもしれない。

  • 東京~京都
    • 18:39~20:51 のぞみ251

京都は新築温泉旅館

京都駅に到着したのは、21時ごろ。BGMはオープンデータ京都実践会の青木さんが進行している、トークアプリSNS「Clubhouse」。新幹線を降りた後から、質疑応答に参加したが、当日の話題は「文化財とウィキペディア」。話題はかなり多岐にわたったところであった。

clubhouseで盛り上がっている傍ら、今回のお宿にチェックインする。京都駅北側、七条通りに面している「御宿 野乃 京都七条」。群馬県立図書館に伺うときに前橋でお世話になったドーミーイングループで、2021年1月に開業したばかりの宿泊施設だ。開業から1年経過していないこともあり、館内には畳の香りが広がる。和のテイスト抜群な館内。京都府内も緊急事態宣言中ということもあり、宿泊客はかなり少ないようだ。温泉は少し我慢して、clubhouseと夜食の時間にする。ドーミーイン恒例、夜食の夜鳴きそば(しょうゆラーメン)の提供はこちらでも定例メニューとして用意されている。勿論頂くことにするが、今回の場合は新幹線でほとんど何も口に入れていないので、実質的には夜食ではなく夕食の扱いになってしまった。
www.hotespa.net

clubhouseがクローズした後は、温泉に直行。温泉というのは人間を生き返らせる効果があるのではないかと、強く感じている。源泉運び湯の大浴場フロアは、2層構造になっており、浴槽もいくつかあり、楽しませてくれる。その中で、外気浴の上層フロアは「瞑想の湯」のフロアになっている。私は一目散に瞑想の湯に向かってしまった。だれもいない、独り占めの湯処ほど贅沢な空間はない。寝湯に浸かり、今日一日あったこと、明日から楽しむことに思いを馳せる。なんだかんだで1時間ほど、温泉を楽しみ、明朝のアラームをセットして、25時すぎに就寝。

朝食の前に、朝から温泉に入る。寝ぐせで偏った髪を整えながら、朝食のビュッフェに向かう。京都ならではのメニューがふんだんに並んでおり、目移りしてしてしまう。湯葉メニューが数種類あるのも京都ならではだと勝手に思っている。

のりまきさんのおつかい と 実家のおやつ

少しゆっくり過ごした宿を出発して向かったのは、京都御所南側の堺町御門を背中に、東西に走る丸太町通りから堺町通りを数分歩いたところにある「松屋常盤」。ショーケースもない店内には、おかみさんが一人座っている。こちらで買える菓子「味噌松風」はこれまで歴代天皇にも愛されたという一品。西京味噌と小麦粉に砂糖を加えて練り上げ、表面には黒ゴマとい表情。見た目はカステラといったところだ。

旅行の途中だったこともあり、今回は自宅分を購入せず、のりまきさんとこれから会う方へのお土産として購入した。このあと福知山まで足を延ばすことを伝えると、おかみさんから焼いた時の切れ端を渡してくださり「道中にお食べ」と差し出してくれた。このあと、はしだて号でいただくことになるのだが、これが涙が出るくらいおいしく、生地がへばりつく感じは、カステラとは言えない独特のおいしさだった。

肝心な、中身の写真を撮り忘れたことは、ここだけの秘密にしておいてください...

その足で、東方面に足を進めることにした。行きついた先は、聖護院八ッ橋本店。京都府立図書館がある岡崎公園・平安神宮から北へ少し進んだところにある。かなり暑くなってきたこともあり、お茶を出してくださった。ちょうど慶事が翌週あることもあり、4家族分を購入することにした。

祖父の墓前に供えるのは何が良いか悩んでいたところ、山本本家のお酒と酒粕を使った酒まんじゅうをお勧めしてくださった。6月から販売開始したとのことで実店舗では本店とオンラインでの販売が開始されたばかりだという。日本酒が大好きだった祖父ということもあり、一緒に配送をお願いした。

www.instagram.com

世間話に花を咲かせてしまったが、なんだかんだでゆっくりしている時間は残されておらず、京都駅にタクシーでトンボ帰り。

はしだて、丹後の海、いざ福知山へ

12:25 京都発、はしだて5号 久美浜行き。中央改札に帰ってきたのは発車10分前。昼食のことを考えずに山陰線ホームに駆け足で入ると、そこで待っていたのは「丹後の海」だった。前回の京丹後訪問では、大雨の影響で京都からは乗ることが出来なかった丹後の海が、京都駅のホームで私を待っていてくれた。と思ったら、ダッシュした甲斐があったと自分を励ませたのであった。

「丹後の海」だということをリサーチしていなかったこともあり、即座に前から2列目の特等席に予約を変更し、列車に乗り込んだ。定刻に発車したはしだて号は、二条・亀岡・園部・綾部と停車し、13:54に福知山駅に入線した。

今回福知山を訪れたのは、FMたんば放送局に訪れるためであった。この直前までclubhouseで100日連続に挑戦していた放送局長 能戸美香さんとの企画会議のため。みかさんに会うためだけに福知山に行ったといっても過言ではない。駅前から国道9号を渡り、そこから放送局までは上り坂、スーツケースを片手にアップアップになりながら、何とかたどり着いた。

社長さまにもご挨拶さえていただき、トークは「まちが抱える、情報発信の悩みとは」。一部内容は、編集されてオンエアーになると思うので、そちらを楽しみにしていただきたかったり。ものすごくまとめると、福知山でもウィキペディアタウンが出来ればいいのにな。という話題でまとめられる。

ここで、ABC Martに寄り道してもらうという、すごく申し訳ないことをお願いし、翌日のシーカヤックではくためのサンダルを購入。そして、この日のうちに、京丹後市に入らなければならないこともあり、早目の夕食をご一緒させていただくこととなった。夕食は「しあわせを運んでくださる」ラーメン屋「ふくちあん」へ。国道9号沿いにあるこの店は、我々が入った後に続々とお客さんが入り始め、いつのまにか満席になってしまっていた。

あっという間にラーメンと唐揚げを食べ上げた我々は福知山市立中央図書館へ。床がみどり色で、天井が高い開放的な空間が作られている。即座に郷土資料コーナーに向かい、局長と二人で様々な資料をあさり読みしていた。すかさず私も「こんな資料を使ってウィキペディアタウンやるんですよ」とお伝えする。局長は、是非福知山でやりたい、と一人にこにこしていた。

図書館でもあっという間に1時間が過ぎてしまい、タイムアップ。19:02福知山発、たんごリレー5号 網野行き、まさかの連続「丹後の海」。またまたひとりで発狂してしまったが、あっという間に20:16 峰山に到着してしまった。丹後の海の快適さ、本当に恐るべしである。ウィキペディアンのかんた氏と同じ列車に乗っていた。あとから分かったことだが、京都で調べ物を済ませていたらしい。

2泊目にお世話になったのは峰山駅からほど近い、プラザホテル吉翠苑。最上階には大浴場を構える、客室は全68室。今回は、セミダブルベッド・朝食付きで7,000円のプランを予約。ひとり大浴場に浸かり、一日の疲れを癒やし、明日のためのエネルギーを回復する時間となった。

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翌朝はルーティーンのように朝風呂と朝食ビュッフェ。「海の京都認定証」という盾がカウンターに置かれていた。京都は海産物もいっぱいあるんだ、と改めて感じた。そして、おいしいごはんをおなか8分目までいただく。いろいろなメニューが並んでいるので、ぜひ京都産メニューにはラベルがあると嬉しい。

漁港から出発するシーカヤック

峰山市街から車で20分ほど、丹後半島を北に進んだところに今回の執筆対象となる三津漁港がある。最盛期にはまぐろが水揚げされるなど、かなりにぎわった漁港だが、今はその賑わいを感じることはない。そんな漁港の片隅に「三津の灯台珈琲」が建つ。もともと漁港施設だった建物をリノベーションして4月から営業している。

r.goope.jp

集合した参加者一同は、はじめに三津で行われていた漁法について学ぶ。かなり大きな網を海に沈め、最後の室(第2箱網)から漁獲する。話によると、マグロは1952年ごろを中心に、最大は8,000本が水揚げされており、保冷施設がない時の話は、池に氷を入れて保管していたという。その後、エチゼンクラゲが大発生したころに数が少なくなってきた。設置されている、定置網は45メートルの許可だが、水深43メートルで設置しているとのこと。どうやら、監査が入るようだ。

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Canon R6 + RF 24-105mm F4 L IS USM f/4.0 1/640s ISO3200

説明を受けた参加者一同は、カヤック班と徒歩班の2班に分かれて、漁港周辺を移動する。用意された2艘のカヤックに、2名ずつが乗り込む。ふと思ったが、ウィキペディアタウンをバス移動ではなく「カヤック移動」というのは史上初ではないだろうか。

初めに、カヤックの漕ぎ方をレクチャーされる。船に乗って、ちょうどつま先にあたるところにパドックを落として漕いで進む。ペアとのペースが合わないと進まない。ブレーキをかけるときは、船に対して垂直にパドックを落とす。陸上で練習してみたが、私の飲み込みは遅かった気がする。

練習を終えたら、実際に乗り込んで大海原を目指しての練習。もう1艘に乗り込んだのが、いかにも体力あります系男子だったこともあり、私はそれに追いつくことはできずに、日本海という大海原に飛び出すことになった。海でのアクティビティの経験がかなり久しぶりだったこともあり、上機嫌でカヤックをこぎ続ける。海から陸地を眺めてみると、地層がななめに見えている。

そのあたりの説明は、YouTube動画にまとめてみたので、見て頂けるとわかりやすい。

youtu.be

カヤックを1時間漕ぎ、手にまめをつくったら、陸地から海を眺める方と入れ替わる。どうやら海岸では定期的に清掃活動が行われているとのことで、カヤック開催日から近い週末にも開催されるとのこと。見ていると発泡スチロール製品やプラスチック製品がかなり散らかっており、これが海洋プラスチック問題の一部なのか


今回編集された記事は、ウィキぺディアに記事があることの影響とは

シーカヤックのあとは、昼食弁当を漁港でいただき、「琴引浜鳴き砂文化館」でウィキペディア記事の編集作業に入った。参加者は好きなテーマに関する文献調査・執筆作業を行う。今回最終的に編集されたのは、次の項目。

  • 徳楽山
  • 京丹後市立三津小学校
  • 網野町三津
  • 山陰海岸ジオパーク
  • 三津漁港

徳楽山、京丹後市立三津小学校、網野町三津の3テーマが今回の新規記事、ジオパーク・三津漁港の記事です。京丹後での開催時には、漱石の猫さんとかんたさんがガッツリ準備して本番に臨まれる。エネルギー量とその効率よい執筆時間能力の運用は、敬服の念に尽きる。*1

執筆開始前のレクチャーで、これまで京丹後に関する記事がどのような影響を与えてきたのか、その一部を伺うことができた。たとえば、ウィキペディアのエディタソンで会場としても開放してくださっていた「ヒカリ美術館」は、新着記事としてウィキペディア日本語版のトップページに1日だけ掲載された。海外居住の方が日本語の情報を見れるという点において、非常に有用。存在を知らなかったらキーワード検索にもならないが、ウィキペディア日本語版のトップに掲載されることで「検索語を知らなくても検索されている状態」を作ることができたというわけだ。

ja.wikipedia.org

実際のビュワー数もツールで確認することができる。平均すると1日367万ビュワーがいる日本語版ウィキペディアの総記事のうち、600アクセスがあった。これはかなりのアクセス実績にあたるところである。

https://pageviews.toolforge.org/?project=ja.wikipedia.org&platform=all-access&agent=user&redirects=0&start=2019-02-01&end=2019-03-31&pages=ヒカリ美術館

京丹後のまちは今後どうなる

あくまで勝手な私の見立てとして捉えていただきたいが、本当の意味でのウィキペディアタウンが出来上がるのではないかと、期待している。まだ、QRコードがあちらこちらに貼られているわけではないが、ウィキペディアと観光の実践例になってほしいと心から思っている。三津のシーカヤックもYouTubeへの取り上げも増えてきている。

www.willer.co.jp

また、直近では京都丹後鉄道の親会社にあたるWILLERが渋谷区とともに京丹後で定額乗り放題の移動手段を提案するなど、ネット社会の中で考える未来の日本を京丹後には映し出しているようにも見える。まだまだ未来は明るい。

*1:私自身はエネルギー量も掛けられる時間も少なくなり気味であって。