コオニユリに囲まれて-千葉・多古光湿原

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7月、千葉県北東部にある横芝光町と多古町にまたがる「多古光湿原」を2回にわたり訪問した。初回訪問となった11日は、最高気温が30度近くになったがほぼ無風の一日で、猛暑の夏を感じる天候であった。今回は不定期な企画として「ウィキペディアツーリズムの試み」と名づけウィキペディアタウンではないツーリズムの試みでの訪問ある。開催は横須賀(2018年9月)、浦和(4月)に続き、3度目。同行者はのりまきさん・ふとまきさん夫妻と地衣類司書さんの4名で現地へ向かったのである。その2週間後には、横芝光町図書館でのウィキペディア編集講習会を開催することになっていた。

横須賀で開催した、ウィキペディアツーリズムの試みについては南陀楼綾繁さんが簡単にレポートしてくださっている。記事中に登場するフルカラーのリーフレットは、のりまきさんと私の合作である。というのと同時に、のりまきさんの前歴も垣間見えるので、是非ご覧いただきたいところである。

fugensha.jp

初回の訪問は食虫植物群落と“タコピザ”へ

訪問前日にあたる10日は翌日に備え、千葉駅前の宿泊施設を予約していたが、それ以外のスケジュールを全く調整していなかったこともあり、出発前夜になってどこに訪れたらよいか悩んでいたが、どうやらその日にスターダストレビューの40周年ツアーが予定されており、予定通り開催されるらしい。年末放送されている「クリスマスの約束」に影響されていた私は、スタレビのベストアルバムも手元にあり、せっかくだから、とお伺いすることにしたのだった。超ノリノリで終えたライブの夜は、かなりぐっすり就寝したことを覚えている。

翌日、千葉駅からのりまきさん・ふとまきさん夫妻と地衣類司書さんと車を走らせて、初めに訪れたのは、食虫植物が多く群集を成している「成東・東金食虫植物群落」である。ここは、1920年に国内初の天然記念物に指定されたエリアである。今年の時点で、約450種の植物が確認されており、その中には8種の食虫植物も植生している。散策できるエリアは約100メートルの遊歩道が2面にそれぞれ整備されていて、開放時間中は自由に散策することが出来る。食虫植物なんていうものは人生で初めて見た私はじっくり草叢の中を観察してしまい、猛暑なのにもかかわらず、先を歩く一行を逆放置するとともに、時間が過ぎることを忘れてしまっていた。約1時間の散策を終えると、身体は火照ってしまっていて2本あった水筒の中身は空っぽになっていた。

昼食の時間を迎えていたこともあり、ランチは「多古ピザ」に訪問。到着時には客席は満席で、外の座席に通してもらう。移動中は“たこピザを食べに行く”という会話が展開されていたことから、海の幸の「タコ」が山のように乗ったピザを食べさせられるのではないか、と妄想がうごめいていたところである。実際にはそんなことはなく、多くの種類から選べることが出来、我々も数種類のピザを選択し、リーズナブルな金額で実食することが出来た。もちろんデザートも忘れることなく、である。

湿原に向かう

お腹が満腹になった一行は、多古光湿原を目指す。湿原は、九十九里浜から数キロほどと近いところにあり、四季それぞれで植物たちが様々な表情を見せてくれる。湿原の中は遊歩道ではなく、自然探検隊が歩くような“道なき道”までとは程遠い土地を歩いていくのだが、一行からはあちらこちらから、多種多様な植物の名前が飛び交うが、隊列が長いことやそもそも何が離されているのかも聞こえてこない。動画用に撮影していたカメラにその会話が記録されていることを信じている*1

2回目の訪問

その2週間後(2回目)の25日も多古光湿原を訪れた。同じルートを歩くと、前回は足元が見えていたはずが、鬱蒼とした植物たちで足が取られる状況になっていた。草原の奥から脚立の上から湿原を眺めてみると、コオニユリの花が咲き乱れ、これはまた圧巻であった。これはドローンで撮影出来たら嬉しいと妄想が膨らむ。

ツーリズムに引き続き、ウィキペディア編集講習会企画が実施されたのは、6月に地衣類司書さんと仲間の皆さんが現地を訪れた際、たまたま現地にいらっしゃった「多古光湿原保存会」のみなさまと会談したことから始まった。会話を深めていくと、どうやら豊富な資料や写真が数多く保有しているということがわかったが、先方からは湿原の資料を使ってウィキペディアに載せてほしいという、執筆に関する話題があったこともあり、すかさず「講習会の開催を!」を叫んでくださったのであった。ここは「受け身にさせてはいけない」というみなさまの心意気に感謝している。

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湿原を見学したメンバーはコオニユリに囲まれて充実の表情

湿原を歩きつくした一行は、横芝光町図書館へ向かう。昼食を道の駅で済ませた後、図書館には、保存会の皆様以外にも「地域おこし協力隊」の皆様、図書館スタッフの皆様が参加者として会場に集結した。今回は、「ウィキペディアタウン」の開催の際に使用しているスライドを中心に、なぜ自分たちでデータをアップロードするのかという点も含めて説明。編集対象として地衣類司書さんが選んだ記事は「多古光湿原」「栗山川」「乾草沼」の3テーマ。横芝光町図書館や千葉県立図書館などにある所蔵資料から執筆対象を選定したという。実際、図書・書籍資料だけではなく新聞縮刷版なども多く並んでいたのが特徴的であった。

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

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千葉県の太平洋側は、これまで車で通過することしか経験したことがなかった。正直、横芝光町ってどこやねん!と思って地図アプリを広げていたところだった。と同時に、まさか同月に2回も同じ町を訪れるということは想像していなかったのも事実である。今後も、多古光湿原をきっかけに地域アーカイブが少しでも進むことを願っている。

*1:執筆当時は動画の内容を全く確認できていない

「海の京都」でシーカヤックを満喫する

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横手市で史上最高気温を観測した2021年6月11日。私は京都を歩いていた。それは、12日(土)に京丹後市で開催されるウィキペディアタウンに参加するためである。京丹後市への訪問は、2020年9月以来3回目の訪問になるが、毎回膨大な記事が上がるというスカッとする快感が味わえる。

今回は、午前中にシーカヤックと地域を歩き、午後から執筆するという、かなりアクティビティな開催形態である。水着やサンダル、といったものをどこにしまったのかわからなくなっていた私は、水着を旅への出発前に、サンダルは京都到着後に調達するというスケジュールを組んでみた。今回参加するウィキペディアタウンは、講師ではなく純粋に「シーカヤックを楽しむ、ウィキペディア書いたことある人」で参加させていただいた。

のぞみは新型

10日(木)、京都入りを図ろうと考えた私は、のぞみ号を予約する。新幹線に乗るのも前回の京丹後訪問以来であり、内心ふわふわとしていたところであった。実際入線してきた列車は、新型のぞみ N700S系であった。のぞみ号でも乗り物酔いをすることがある私は、入線時に新型のぞみだとは気づかずに乗り込んだが、内装が異様にキレイで、新車の香りと案内表示のLCD表示で「あれ、これ新型!?」という思考回路につながった。

現在、N700Sの運用状況についてはJR東海のウェブサイトで確認することが出来るが、新型列車に乗り込んだ後にウェブサイトを確認してみたところ、乗った列車の表記はなかった。ある意味で幸運だったのかもしれない。

  • 東京~京都
    • 18:39~20:51 のぞみ251

京都は新築温泉旅館

京都駅に到着したのは、21時ごろ。BGMはオープンデータ京都実践会の青木さんが進行している、トークアプリSNS「Clubhouse」。新幹線を降りた後から、質疑応答に参加したが、当日の話題は「文化財とウィキペディア」。話題はかなり多岐にわたったところであった。

clubhouseで盛り上がっている傍ら、今回のお宿にチェックインする。京都駅北側、七条通りに面している「御宿 野乃 京都七条」。群馬県立図書館に伺うときに前橋でお世話になったドーミーイングループで、2021年1月に開業したばかりの宿泊施設だ。開業から1年経過していないこともあり、館内には畳の香りが広がる。和のテイスト抜群な館内。京都府内も緊急事態宣言中ということもあり、宿泊客はかなり少ないようだ。温泉は少し我慢して、clubhouseと夜食の時間にする。ドーミーイン恒例、夜食の夜鳴きそば(しょうゆラーメン)の提供はこちらでも定例メニューとして用意されている。勿論頂くことにするが、今回の場合は新幹線でほとんど何も口に入れていないので、実質的には夜食ではなく夕食の扱いになってしまった。
www.hotespa.net

clubhouseがクローズした後は、温泉に直行。温泉というのは人間を生き返らせる効果があるのではないかと、強く感じている。源泉運び湯の大浴場フロアは、2層構造になっており、浴槽もいくつかあり、楽しませてくれる。その中で、外気浴の上層フロアは「瞑想の湯」のフロアになっている。私は一目散に瞑想の湯に向かってしまった。だれもいない、独り占めの湯処ほど贅沢な空間はない。寝湯に浸かり、今日一日あったこと、明日から楽しむことに思いを馳せる。なんだかんだで1時間ほど、温泉を楽しみ、明朝のアラームをセットして、25時すぎに就寝。

朝食の前に、朝から温泉に入る。寝ぐせで偏った髪を整えながら、朝食のビュッフェに向かう。京都ならではのメニューがふんだんに並んでおり、目移りしてしてしまう。湯葉メニューが数種類あるのも京都ならではだと勝手に思っている。

のりまきさんのおつかい と 実家のおやつ

少しゆっくり過ごした宿を出発して向かったのは、京都御所南側の堺町御門を背中に、東西に走る丸太町通りから堺町通りを数分歩いたところにある「松屋常盤」。ショーケースもない店内には、おかみさんが一人座っている。こちらで買える菓子「味噌松風」はこれまで歴代天皇にも愛されたという一品。西京味噌と小麦粉に砂糖を加えて練り上げ、表面には黒ゴマとい表情。見た目はカステラといったところだ。

旅行の途中だったこともあり、今回は自宅分を購入せず、のりまきさんとこれから会う方へのお土産として購入した。このあと福知山まで足を延ばすことを伝えると、おかみさんから焼いた時の切れ端を渡してくださり「道中にお食べ」と差し出してくれた。このあと、はしだて号でいただくことになるのだが、これが涙が出るくらいおいしく、生地がへばりつく感じは、カステラとは言えない独特のおいしさだった。

肝心な、中身の写真を撮り忘れたことは、ここだけの秘密にしておいてください...

その足で、東方面に足を進めることにした。行きついた先は、聖護院八ッ橋本店。京都府立図書館がある岡崎公園・平安神宮から北へ少し進んだところにある。かなり暑くなってきたこともあり、お茶を出してくださった。ちょうど慶事が翌週あることもあり、4家族分を購入することにした。

祖父の墓前に供えるのは何が良いか悩んでいたところ、山本本家のお酒と酒粕を使った酒まんじゅうをお勧めしてくださった。6月から販売開始したとのことで実店舗では本店とオンラインでの販売が開始されたばかりだという。日本酒が大好きだった祖父ということもあり、一緒に配送をお願いした。

www.instagram.com

世間話に花を咲かせてしまったが、なんだかんだでゆっくりしている時間は残されておらず、京都駅にタクシーでトンボ帰り。

はしだて、丹後の海、いざ福知山へ

12:25 京都発、はしだて5号 久美浜行き。中央改札に帰ってきたのは発車10分前。昼食のことを考えずに山陰線ホームに駆け足で入ると、そこで待っていたのは「丹後の海」だった。前回の京丹後訪問では、大雨の影響で京都からは乗ることが出来なかった丹後の海が、京都駅のホームで私を待っていてくれた。と思ったら、ダッシュした甲斐があったと自分を励ませたのであった。

「丹後の海」だということをリサーチしていなかったこともあり、即座に前から2列目の特等席に予約を変更し、列車に乗り込んだ。定刻に発車したはしだて号は、二条・亀岡・園部・綾部と停車し、13:54に福知山駅に入線した。

今回福知山を訪れたのは、FMたんば放送局に訪れるためであった。この直前までclubhouseで100日連続に挑戦していた放送局長 能戸美香さんとの企画会議のため。みかさんに会うためだけに福知山に行ったといっても過言ではない。駅前から国道9号を渡り、そこから放送局までは上り坂、スーツケースを片手にアップアップになりながら、何とかたどり着いた。

社長さまにもご挨拶さえていただき、トークは「まちが抱える、情報発信の悩みとは」。一部内容は、編集されてオンエアーになると思うので、そちらを楽しみにしていただきたかったり。ものすごくまとめると、福知山でもウィキペディアタウンが出来ればいいのにな。という話題でまとめられる。

ここで、ABC Martに寄り道してもらうという、すごく申し訳ないことをお願いし、翌日のシーカヤックではくためのサンダルを購入。そして、この日のうちに、京丹後市に入らなければならないこともあり、早目の夕食をご一緒させていただくこととなった。夕食は「しあわせを運んでくださる」ラーメン屋「ふくちあん」へ。国道9号沿いにあるこの店は、我々が入った後に続々とお客さんが入り始め、いつのまにか満席になってしまっていた。

あっという間にラーメンと唐揚げを食べ上げた我々は福知山市立中央図書館へ。床がみどり色で、天井が高い開放的な空間が作られている。即座に郷土資料コーナーに向かい、局長と二人で様々な資料をあさり読みしていた。すかさず私も「こんな資料を使ってウィキペディアタウンやるんですよ」とお伝えする。局長は、是非福知山でやりたい、と一人にこにこしていた。

図書館でもあっという間に1時間が過ぎてしまい、タイムアップ。19:02福知山発、たんごリレー5号 網野行き、まさかの連続「丹後の海」。またまたひとりで発狂してしまったが、あっという間に20:16 峰山に到着してしまった。丹後の海の快適さ、本当に恐るべしである。ウィキペディアンのかんた氏と同じ列車に乗っていた。あとから分かったことだが、京都で調べ物を済ませていたらしい。

2泊目にお世話になったのは峰山駅からほど近い、プラザホテル吉翠苑。最上階には大浴場を構える、客室は全68室。今回は、セミダブルベッド・朝食付きで7,000円のプランを予約。ひとり大浴場に浸かり、一日の疲れを癒やし、明日のためのエネルギーを回復する時間となった。

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翌朝はルーティーンのように朝風呂と朝食ビュッフェ。「海の京都認定証」という盾がカウンターに置かれていた。京都は海産物もいっぱいあるんだ、と改めて感じた。そして、おいしいごはんをおなか8分目までいただく。いろいろなメニューが並んでいるので、ぜひ京都産メニューにはラベルがあると嬉しい。

漁港から出発するシーカヤック

峰山市街から車で20分ほど、丹後半島を北に進んだところに今回の執筆対象となる三津漁港がある。最盛期にはまぐろが水揚げされるなど、かなりにぎわった漁港だが、今はその賑わいを感じることはない。そんな漁港の片隅に「三津の灯台珈琲」が建つ。もともと漁港施設だった建物をリノベーションして4月から営業している。

r.goope.jp

集合した参加者一同は、はじめに三津で行われていた漁法について学ぶ。かなり大きな網を海に沈め、最後の室(第2箱網)から漁獲する。話によると、マグロは1952年ごろを中心に、最大は8,000本が水揚げされており、保冷施設がない時の話は、池に氷を入れて保管していたという。その後、エチゼンクラゲが大発生したころに数が少なくなってきた。設置されている、定置網は45メートルの許可だが、水深43メートルで設置しているとのこと。どうやら、監査が入るようだ。

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Canon R6 + RF 24-105mm F4 L IS USM f/4.0 1/640s ISO3200

説明を受けた参加者一同は、カヤック班と徒歩班の2班に分かれて、漁港周辺を移動する。用意された2艘のカヤックに、2名ずつが乗り込む。ふと思ったが、ウィキペディアタウンをバス移動ではなく「カヤック移動」というのは史上初ではないだろうか。

初めに、カヤックの漕ぎ方をレクチャーされる。船に乗って、ちょうどつま先にあたるところにパドックを落として漕いで進む。ペアとのペースが合わないと進まない。ブレーキをかけるときは、船に対して垂直にパドックを落とす。陸上で練習してみたが、私の飲み込みは遅かった気がする。

練習を終えたら、実際に乗り込んで大海原を目指しての練習。もう1艘に乗り込んだのが、いかにも体力あります系男子だったこともあり、私はそれに追いつくことはできずに、日本海という大海原に飛び出すことになった。海でのアクティビティの経験がかなり久しぶりだったこともあり、上機嫌でカヤックをこぎ続ける。海から陸地を眺めてみると、地層がななめに見えている。

そのあたりの説明は、YouTube動画にまとめてみたので、見て頂けるとわかりやすい。

youtu.be

カヤックを1時間漕ぎ、手にまめをつくったら、陸地から海を眺める方と入れ替わる。どうやら海岸では定期的に清掃活動が行われているとのことで、カヤック開催日から近い週末にも開催されるとのこと。見ていると発泡スチロール製品やプラスチック製品がかなり散らかっており、これが海洋プラスチック問題の一部なのか


今回編集された記事は、ウィキぺディアに記事があることの影響とは

シーカヤックのあとは、昼食弁当を漁港でいただき、「琴引浜鳴き砂文化館」でウィキペディア記事の編集作業に入った。参加者は好きなテーマに関する文献調査・執筆作業を行う。今回最終的に編集されたのは、次の項目。

  • 徳楽山
  • 京丹後市立三津小学校
  • 網野町三津
  • 山陰海岸ジオパーク
  • 三津漁港

徳楽山、京丹後市立三津小学校、網野町三津の3テーマが今回の新規記事、ジオパーク・三津漁港の記事です。京丹後での開催時には、漱石の猫さんとかんたさんがガッツリ準備して本番に臨まれる。エネルギー量とその効率よい執筆時間能力の運用は、敬服の念に尽きる。*1

執筆開始前のレクチャーで、これまで京丹後に関する記事がどのような影響を与えてきたのか、その一部を伺うことができた。たとえば、ウィキペディアのエディタソンで会場としても開放してくださっていた「ヒカリ美術館」は、新着記事としてウィキペディア日本語版のトップページに1日だけ掲載された。海外居住の方が日本語の情報を見れるという点において、非常に有用。存在を知らなかったらキーワード検索にもならないが、ウィキペディア日本語版のトップに掲載されることで「検索語を知らなくても検索されている状態」を作ることができたというわけだ。

ja.wikipedia.org

実際のビュワー数もツールで確認することができる。平均すると1日367万ビュワーがいる日本語版ウィキペディアの総記事のうち、600アクセスがあった。これはかなりのアクセス実績にあたるところである。

https://pageviews.toolforge.org/?project=ja.wikipedia.org&platform=all-access&agent=user&redirects=0&start=2019-02-01&end=2019-03-31&pages=ヒカリ美術館

京丹後のまちは今後どうなる

あくまで勝手な私の見立てとして捉えていただきたいが、本当の意味でのウィキペディアタウンが出来上がるのではないかと、期待している。まだ、QRコードがあちらこちらに貼られているわけではないが、ウィキペディアと観光の実践例になってほしいと心から思っている。三津のシーカヤックもYouTubeへの取り上げも増えてきている。

www.willer.co.jp

また、直近では京都丹後鉄道の親会社にあたるWILLERが渋谷区とともに京丹後で定額乗り放題の移動手段を提案するなど、ネット社会の中で考える未来の日本を京丹後には映し出しているようにも見える。まだまだ未来は明るい。

*1:私自身はエネルギー量も掛けられる時間も少なくなり気味であって。

SUWAKOペディアを開催するまでの記録と当日の様子

2021年3月に開催された「SUWAKOぺディア」。今回、講師側は新型コロナウイルス感染症による対応でオンライン中継でまちあるきで現地を見ることなく参加することとなった。参加者は、中学生・高校生を含めた30名ほど。5名〜6名ごとに分かれテーブルごとに着席する形式となった。

諏訪湖創生ビジョンからウィキペディアタウンを企画する

長野県が行う諏訪湖創生ビジョンの企画として開催された今回のウィキペディアタウン。今回実施される課題意識は、ビジョンにこう明記されている。

5.4.3. 学びの推進(PDF 95ページ、文書 92ページ)のセクションには、「諏訪湖創生ビジョンでは、流域住民、県民、観光客の諏訪湖への関心を高め、諏訪湖の恵みをより多くの人たちが享受できるように、諏訪湖創生に対する気運を醸成していくことが求められています。」と課題が明言されている。その中で、20年後の目指す姿の一つに「諏訪地域はもとより、長野県内の多くの子どもたちや、観光客が諏訪湖及び流域の水環境や歴史・文化を学んでいる。」ことなどを上げ、地域の学びに限らず環境教育のフィールドにもなり得るよう計画を遂行していくとある。そして、2018年から5年間の取組には「諏訪地域をはじめ長野県内の多くの子どもたちや観光客が、諏訪湖の水環境や歴史・文化を学ぶ環境づくりを推進します。」とあり、諏訪湖の文化を学べる場づくりを含めて進めていくようだ。

https://www.pref.nagano.lg.jp/suwachi/suwachi-kikaku/vision/documents/bijon.pdf
全文については、ビジョンPDFを参照していただきたい。

講師陣も運営陣となって企画を組み立てる

諏訪湖をテーマにウィキペディアタウンを開催するという話題は、2020年1月に開催されたWikipedia LIBにさかのぼる。今回主催となった諏訪地域振興局の一職員が参加していたことが開催のきっかけとなった。

araisyohei.hatenadiary.org

企画実施が決まった後には、県立長野図書館と諏訪地域振興局と講師が数回のオンライン会議を展開した。その間には、諏訪側でも打ち合わせと、まちあるき・編集会場の下見を実施していただいた。同時に、会場を下諏訪町図書館2階会議室にすることも併せて決定した。図書館での開催にあたっては、諏訪湖周辺の図書館3館による資料協力体制も準備してくださり、信濃毎日新聞データベース端末も当日会場に確保してくださること、レンタルのポケットWi-Fiルータも2台用意いただけることとなった。

開催の2か月前、2021年1月には地域振興局からリーフレットの校正依頼が入る。届いたPDFファイルを開けるとスペーシーなデザインをしたリーフレットが目に飛び込んできた。このデザインになった理由を伺ってみると、担当してくださっている若手男子職員のやる気と、開催地の諏訪東京理科大学に通う学生を含めた若い世代をターゲットにしているためだという。私にはないデザインセンスでうっとりしてしまった。

https://web.archive.org/web/20210521103236im_/https://www.knowledge.pref.nagano.lg.jp/images/240/suwako_wpt01.jpg

その後すぐ、1月12日に発行された長野日報と信州市民新聞(岡谷市民新聞・諏訪市民新聞・茅野市民新聞・下諏訪市民新聞・たつの新聞・みのわ新聞・南みのわ新聞)には募集開始に関する記事を掲載いただいた。プレス発表前であったが、主催側の地道な努力が実った形である。

web.archive.org

最終的に開催にあたり、障壁となったのは講師が現地レクチャーをするのかどうかであった。ちょうど緊急事態宣言が出ている状況で実質的な第2波が来ていることもあり、最終判断を行うまで、かなり悩まれたようだが、オンラインでのタウンを試す実験的な会にしたいという結論に行きついたという。

編集テーマの設定

「SUWAKOペディア」では、主催者側で設定テーマの案を6テーマ提示し、その内容を全体会で決定する運びを取った。最終的には、図書館にある資料(特に新聞や書籍、行政資料)がどの程度あるかを基準に以下のテーマとした。

  • 防災機能を持たした公園として諏訪湖畔に開設された「赤砂崎公園」。国の補助金を用いて設置されたそう。公園には防災用ヘリポート以外にも市民が集える公園としての設備が多く設置されている。
  • 31河川が流れ込んでいるが、流れ出るのは水門から天竜川に流れる「釜口水門」のみ。諏訪湖の面積に対して、流入域40倍。大雨のたびに氾濫を繰り返してきた。しゅんせつなどを進めてきたが、湖面が下がってしまうこともあり、昭和11年に水門設置で現在のものが2代目。夏場は水面を低くし下流への被害を防ぐ役割も担っている。
  • 諏訪湖の海底に沈んでいる「曽根遺跡」(「諏訪湖」の一節)
  • そして「諏訪湖の観光」(「諏訪湖」の一節)

当日はスケジュール通りにいかない

順調に行くことはなく、昼食は私と一緒に講師を務めてくださった、かんたさんのレクチャーを聞きながら進めることとなったというイレギュラーな組み合わせで進めることとなった。

予定時刻 実際時刻 内容 詳細
9:00 9:00スタッフ集合
9:40 9:40参加者集合
10:00 9:50 ガイダンス 資料説明・イベント趣旨説明
10:02諏訪湖及び諏訪湖創生ビジョンについて
10:18ウィキペディアの概略説明(あらい)
10:44まちあるきの魅力について(県立長野図書館 あさくらさん)
11:00~12:40 10:58~13:02まち歩き 諏訪湖周を大型バス移動
10:58 下諏訪文化センター出発
11:03~11:39 赤砂崎公園見学
11:50~12:10 釜口水門見学
12:35~12:50 間欠泉センター見学
13:02 下諏訪文化センター到着
12:40~13:30 13:10~ 昼食・休憩 昼食を兼ねてガイダンスを開始
13:20~13:50ウィキペディア編集のコツ(かんた)
13:50~14:14文献収集ガイダンス(あらい)
13:30~16:00 14:20~16:00文献調査・編集
16:00~16:50 16:00~17:00成果発表・講評
16:50~16:55 17:00~ まとめ 参加者感想コメント・主催者挨拶
16:55 17:04集合写真撮影
17:00 17:20終了

今回は、会場である図書館からバスに乗り、諏訪湖を1周するルートがとられた。その中で「北斎が書いた諏訪湖はこのあたりだと言われている」というお話が同行ガイドからあり、ぜひ出典を探して欲しいとのお願いを画面越しにお願いした。

自身は、上諏訪温泉で一泊したいという欲望から、自宅ではなく岡谷駅前にあるコワーキングスペースからレクチャーを中継することとした。中継は、壁に設置されたモニターにzoomの画面を映しながら、相棒の一眼レフをウェブカメラとして接続する、いわゆるワイドショー形式だ。

参加者が諏訪湖を歩いているタイミングで、まちライブラリーの提唱者である磯井さんとが来訪されて、急に私はドキドキモードに突入した。いや、このタイミングでいらっしゃるとは思っていなかったこともその理由ではある。

どのウィキペディアタウンでも起きていることではあるが、まちあるきに時間を取られてしまい、予定通り進まないというのが世の常である。今回も1時間超オーバーしてまちあるきから執筆会場に戻ってきた。バスが図書館会場に戻ってきたのは13時ごろ。かなり時間は押している状況であって、かんたさんのガイダンスは全員が昼食をとりながら開催することとなった。自身は、まちあるき中に昼食をとるために外に出ることはできなかったこともあり、参加者の昼食時間に合わせて、信州そばを食することにした。(かんたさんはこれまでに昼食を全て済ませられているそう、すごい...)


かんたさんのガイダンスはいつも通りの安定感

なぜ、かんたさんがウィキペディアに関わるようになったのか、現在は図書館に関する記事を執筆していること、ウィキペディアの記事を執筆するにあたってどんなポイントに気を付けて執筆すればいいのかを考えてほしいということを訴えた。

記事の側面から分析し、何が必要なのかを自分の頭で考えてほしい。参加者に対して、説明を通して直接的ではないものの何度も伝えていた。ゆったりとした説明は、私のワークショップとはまた違った落ち着きを感じる。

私が一番グサッと刺さったフレーズは、かんたさんが仰せになった、次のフレーズだ。

Asturio Cantabrio「そのものごとの歴史の積み重ねを明らかにし、記録していくのがウィキペディアの編集だ」

勝手ながら、次回のウィキペディアタウンでのガイダンスに使わせていただきたこうと、思っている。

最終的に出来上がった記事たち

ロマンあふれる湖底遺跡もあれば、現在の観光産業に触れた記事まで、今回は4テーマ(記事)のはずなのに、色鮮やかな印象である。当日のイベントでは、参考文献の記載方法を中心にレビューした。具体的には、句読点の前に脚注(文献情報・参照情報)を明記することや、単位を書く場合は、漢字や片仮名で表現して、テキストブラウザでも読みやすくする工夫などである。実際にイベント中に行われた編集差分は、つぎのリンクから記事をご覧いただきたい。もちろん、修正作業は編集イベントが終わった後に参加者も含めた方々が細かく編集しているので、最新版とは異なる。

ja.wikipedia.orgja.wikipedia.orgja.wikipedia.org

当日の記事など

長野日報

www.nagano-np.co.jp

長野県諏訪地域振興局ブログ

blog.nagano-ken.jp

twitter

墨田区でのエディタソン、プレ開催。

2月23日、墨田区の魅力を伝えたいと立ち上がり活動するグループ「すみだすみずみほりおこし隊(すみほり隊)」のみなさまと一緒になってエディタソンを開催。今回のエディタソンは、コロナ禍ということもあり、オンライン参加の方とオフライン参加の方が入り混じり、私は会場からzoomを中継して逐次オンラインとオフラインの隔たりがないように注意しながら作業を進めた。私からのガイダンスの後、実質的な編集開始は11時、昼食休憩を1時間挟んで、編集は16時まで続く。実を言うと、集合時間のスケジュール以外は全く固めていなかった。それほどゆったりしたエディタソンである。

今回の打ち合わせは1月25日、ちょうどウィキペディア20年イベントが終わった翌週にオンラインで開催した。「すみだ北斎美術館」を1文でも加筆したい。というのが、すみほり隊のミッションという。であれば、図書館でどんな資料が必要なのか、レクチャーは30分・ワークは15分程度、参加者はスタッフを入れて10人未満とすること、というところを確認した。というより、それ以上のことは確認していない気がする。

当日午前9時50分、私は錦糸町駅に降り立った。この日の東京は、前の日までの春の陽気から一変し、冷たい風が吹いていた。錦糸町に降り立つのはかなり久しぶりで、ヨドバシカメラなんてあったのか、と思うほどだった。一番最初に向かったのは、三井不動産の商業施設「アルカキット」。開店前の商業施設に並んだのは、イベント実施中に脳へ糖分を送り込むため。この日は、墨田区銘品名店街に加盟する商店が出店するイベントが開催されていた。

meiten-sumida.com

突入したアルカキットには、「言問団子」「志”満ん草餅(じまん)」「長命寺櫻もち」が手前に並んでいたこともあり、即購入。

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和菓子、お買い上げ!

駅前を走る北斎通りを西に歩くと、ひときわ目立つバナナのイラストが描かれたブラックボード。「ココデコーヒー」というお店。いちごとバナナが両方入ったサンドイッチなど、テイクアウトメニューも充実していた。自身はバナナが食べれない属であることから、いちごシェイクを注文。冷たい風がかなりの勢いで拭いていたが、そんなことは全く考えることなく勢いで注文していた。かなりのイチゴが入っているらしい。

今回の会場は、錦糸町駅から10分ほど歩いた「Co-lab墨田亀沢」である。印刷所が入るビルの1フロアをコワーキングスペースとして貸出している。壁面には活版印刷で用いる金属の活版やペーパーサンプル、紙製品が多く並んでいて、開始前にもかかわらず私をわくわくさせてくれる。そして、(良い意味で)イベントを始めさせてくれない自己紹介タイム。

今回は、このスペースに10人ほどが集まった。小学校の先生やすみだ北斎美術館に以前お勤めだった学芸員の方など、その顔触れは多種多彩。また、zoomを用いて画面の向こう側にも参加者がおり、私の声が届くように準備した。かなり久しぶりのガイダンス・レクチャーで冷や汗を流した瞬間であった。

エディタソンの編集対象は「すみだ北斎美術館」。一部の記述については出典が乏しいことなどもあり、今回の編集対象となった。墨田区立図書館から書籍・図録・雑誌などがテーブルには並べられ、参加者は思い思いに資料を読み込んでいくこととなった。プレ開催ということもあり、一旦お昼で中締めを行う形態となった。読み込みから編集まで1時間足らずという短い時間ではあったが、多くの参加者が1文以上加筆もしくは出典追加作業を行うことができ、気分も上々のようだった。

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会場に並んだ資料たち

12時40分、中締めの後はお待ちかねのランチタイム。会場周辺にはいくつか気になるお店があるという参加者の方とまち歩きを兼ねて外に出た。ハンバーガー店や台湾料理店などが立ち並ぶ。最終的に入店したのは、京葉道路と四ツ目通りが交わる「緑三丁目」交差点から錦糸町駅方面の2軒目にある「生駒」。壁面を見るとカレーが有名らしいが、辛いものが苦手な私はカレーに目移りすることなく、「排骨丼(パーコー)」を注文。とんかつとはまた違うが、豚肉を油で揚げた料理である。よりメジャーな「排骨麺」もあったが、麺だと胃袋が膨れる気がして、どんぶりを選んだ。

r.gnavi.co.jp

実際のところ、どんぶりでよかった感は否めない。運ばれてきた排骨丼のご飯は2膳分が乗り、さらに大きな肉が乗っている。これだと和菓子までおなかを空けておくことができなくなる、と思いつつきちんと食べきる。かなりおなかがヘビィー。

14時、編集作業再開。同時に、和菓子の写真をウィキメディア・コモンズにアップロードする作業も進行する。アップロードした写真の一つが桜餅だが、箱から出しながら食べてしまいたいと思っていた。ひたすら我慢しながら、テザー撮影をしてその場で補正し、アップロードを実行していった。

一人一人が心置きなく思う存分作業して、終了宣言が出されたのが16時。少しずつの編集かもしれないが、大きな一歩になったことは実感いただけたと思う。今回の編集部分については、以下のリンクから参照していただきたい。

ja.wikipedia.org

最終的に、和菓子は桜餅のみを食し、草餅と団子は自宅に持って帰ることになった。実質的な編集時間をカウントすると、通常のエディタソンより少なかったことやかなり緩い時間軸で作業をしていただいたこともあり、満足度は高そうだった。併せて、次回を5月に開催することを決定したことで次への布石も打てた。

自宅に持って帰ってきた和菓子たち、草餅は肉厚、言問団子は滑らかな触感の餡。もともと昼食で満腹、その後歩いて少しおなかを空かせたところに和菓子。完全に夕食が和菓子となってしまった。

次回もコロナ禍ということもあり、公募はせずにセミクローズドで開催する予定。だが、招待枠はあるので、気になっている方がいたら個別に連絡を頂きたい。

Wikipedia 20 JAPAN開催の御礼

Wikipedia 20 JAPAN 参加者の皆様

過日のWikipedia 20 JAPANには多くの皆様にご参加いただきました。改めて御礼申し上げます。 今回のイベントでは、多種多様なプログラムを提供できるよう、準備させていただきましたが、いかがでしたでしょうか。

クロージングにてご案内いたしましたアンケートフォームについて、以下のURLからご回答いただきたく、どうぞよろしくお願いいたします。適度なタイミングでクローズします。

https://forms.gle/dfLnCJuC3NtRy14fA

ご不明な点がありましたら、Peatixからご連絡ください。

それでは、失礼いたします。

Wikipedia 20 JAPAN 実行委員会 Araisyohei

#wp20jpn はオンライン開催といたしました

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2021年1月23日に開催が決定していた「ウィキペディア20年イベント」ですが、政府による新型コロナウイルス感染症拡大に伴う「緊急事態宣言」の発令に伴う要請に協力する形で、イベントの開催形態を東京でのオフライン開催から、Zoomによるオンサイン開催に切り替えることといたしました。

この決定をするまでには、様々な葛藤も多くありました。新型コロナウイルス感染症の拡大が少しでも下火になってくれないかと思っていた12月前半の打ち合わせ時点から、大きく変わってしまったこの1月前半。東京都心でも4ケタの感染確認者が出るなど勢いが止まらなくなってしまった状況では、スタッフはもとより、来場される皆様の安全を確保することはかなわないと判断しました。

開催形態は変わっても、イベントに対する熱は実行委員会・登壇者一同、1ミリも変わっていません。ぜひ、当日みなさまとお会いできることを楽しみにしております。

なお、イベントの申し込みはPeatixにて行います。ご自宅からぜひご参加いただきたく、Peatixから申し込みをお願いいたします!

市民発信のブログ講習会、ネット生活の原点|「図書館」(仮称)リ・デザイン Advent Calendar 2020

2020年12月30日、新型コロナウイルス感染症の影響は留まるところを知らない。むしろ、東京都に限らず全国的に感染者数はうなぎ上りといった表現が適切だ。そんな中でも、2020年の図書館は、人間が挑む挑戦と新しい価値創造のために貢献し続けている。医療従事者に限らず、図書館関係者を含めて多くの方が、なるべく生活に影響が出ないように現場で勤務されている。同時に労働者の立場ではなく、ボランティアとして様々な課題を解決しようと努力している人が大勢いる。きょうの日本国内では、そんなことすらも忘れ去られているように思えてならない。

きょうから30年後、2050年12月30日の「図書館(仮)」は、2020年と同じように人間が挑む挑戦と新しい価値創造のために貢献し続けられているだろうか。例えば、行政の資金難で公立図書館の建物は存在しなくても、媒体を問わない「情報」を多種多様な観点でまとめながら、利用者に提供できる、次世代司書(仮)も同時に存在できるのだろうか。

もっぱら自分自身は司書ではないが、そんな人間でも「図書館(仮)」で何ができるのかを常に自問自答できるきっかけの場を存在させる必要性を感じている。付記するのであれば、官民などというありきたりな枠組みではなく、0歳から100歳超までを含めて“自分たちが声をあげ、他者と共存しながら”空間を創っていかなければならない状況になっている。

インターネットやブログが数多く開設され始めた時期、ちょうど2000年代あたり、街中の公民館ではノートパソコンを持ちより、市民主催の講習会が多く開催されていた。講習会には、老若男女問わず多くの市民が参加し、市民活動の発信に勤しんでいたころでもある。はじめてブログを開設する方は、IDの取り方からレクチャーを開始し、写真・文章の投稿から始まり、編集完了まで一体的に学修するプログラム。市民文化団体連合会の主催ということもあり、参加費は無料。当時としては珍しく自分を含めて20人くらいが参加していたように記憶している。

自身がウィキペディアに触りだしたのもちょうどこの時期である。ブログで編集作業のとりことなった私は、同じ時期にウィキペディア日本語版に触れることになった。正直、どちらが先かどうかは覚えていない。

さて、自身が日本語版の管理者を務めさせていただいている、ウィキペディアは来月(2021年1月)16日に、20歳の誕生日を迎えることになる。新型コロナウイルス感染症の拡大状況にもよるが「Wikipedia 20 JAPAN」と題した誕生日パーティを開催する運びとなった。単純に誕生日を祝うだけではなく、これまでの取り組みやウィキペディアタウンなどを振り返る機会とするべく準備を進めている。

ウィキペディアには、「中立的な観点」という方針が存在する。ここでいう中立的とは、編集上の観点で、偏向なく記事を作成していこうというものである。そのためには、書籍・雑誌・新聞などさまざまな媒体を多く使用していくことが必要となる。そこには、図書館が必要不可欠であり、そこにいらっしゃる司書の活躍が大きく関わる。実際、ウィキペディアタウンでも司書が集めた資料群が記事に大きな役割を担うことは間違いない。

これまで、町のことをウィキペディアに書き留める取り組みとして、ウィキペディアタウンで講師をさせていただいたが、その経験には現在の図書館がなくてはならない存在のものであると認識している。ウィキペディアタウンに限ったものではないが、まちの記録と繋ぎ止める役割は、単なる伝承者だけではなく司書も担えるのだ、ということを感じさせていただいた機会であった。

そんな、ウィキペディアタウンが常に開けられるような、建物として存在しているだけでなく、はたまた本が並んでいるだけではない場所として存在してほしい。そして、人と人とがゆるやかに繋がり、コミュニケーションを取っていく中で形作られていく、人々の思いをくみ取れるつながりが創れる場所が「図書館(仮)」であってほしいと心から思っている。あえて2020年現在の枠組みを用いて例示するのであれば、公民館+図書館+(何か)が「図書館(仮)」となるのではないだろうか。

2020年12月30日
ウィキペディア日本語版 Araisyohei


この内容は、「図書館」(仮称)リ・デザイン Advent Calendar 2020に掲載したものと同じものを掲載しています。