SUWAKOペディアを開催するまでの記録と当日の様子

2021年3月に開催された「SUWAKOぺディア」。今回、講師側は新型コロナウイルス感染症による対応でオンライン中継でまちあるきで現地を見ることなく参加することとなった。参加者は、中学生・高校生を含めた30名ほど。5名〜6名ごとに分かれテーブルごとに着席する形式となった。

諏訪湖創生ビジョンからウィキペディアタウンを企画する

長野県が行う諏訪湖創生ビジョンの企画として開催された今回のウィキペディアタウン。今回実施される課題意識は、ビジョンにこう明記されている。

5.4.3. 学びの推進(PDF 95ページ、文書 92ページ)のセクションには、「諏訪湖創生ビジョンでは、流域住民、県民、観光客の諏訪湖への関心を高め、諏訪湖の恵みをより多くの人たちが享受できるように、諏訪湖創生に対する気運を醸成していくことが求められています。」と課題が明言されている。その中で、20年後の目指す姿の一つに「諏訪地域はもとより、長野県内の多くの子どもたちや、観光客が諏訪湖及び流域の水環境や歴史・文化を学んでいる。」ことなどを上げ、地域の学びに限らず環境教育のフィールドにもなり得るよう計画を遂行していくとある。そして、2018年から5年間の取組には「諏訪地域をはじめ長野県内の多くの子どもたちや観光客が、諏訪湖の水環境や歴史・文化を学ぶ環境づくりを推進します。」とあり、諏訪湖の文化を学べる場づくりを含めて進めていくようだ。

https://www.pref.nagano.lg.jp/suwachi/suwachi-kikaku/vision/documents/bijon.pdf
全文については、ビジョンPDFを参照していただきたい。

講師陣も運営陣となって企画を組み立てる

諏訪湖をテーマにウィキペディアタウンを開催するという話題は、2020年1月に開催されたWikipedia LIBにさかのぼる。今回主催となった諏訪地域振興局の一職員が参加していたことが開催のきっかけとなった。

araisyohei.hatenadiary.org

実際には2021年1月に企画実施が決まったが、決定後には県立長野図書館と諏訪地域振興局と講師が数週間の頻度でオンライン会議を展開した。その間には、諏訪側でも打ち合わせと、まちあるき・編集会場の下見を実施していただいた。同時に、会場を下諏訪町図書館2階会議室にすることも併せて決定した。図書館での開催にあたっては、諏訪湖周辺の図書館3館による資料協力体制も準備してくださり、信濃毎日新聞データベース端末も当日会場に確保してくださること、レンタルのポケットWi-Fiルータも2台用意いただけることとなった。

開催の2か月前、2021年1月には地域振興局からリーフレットの校正依頼が入る。届いたPDFファイルを開けるとスペーシーなデザインをしたリーフレットが目に飛び込んできた。このデザインになった理由を伺ってみると、担当してくださっている若手男子職員のやる気と、開催地の諏訪東京理科大学に通う学生を含めた若い世代をターゲットにしているためだという。私にはないデザインセンスでうっとりしてしまった。

https://web.archive.org/web/20210521103236im_/https://www.knowledge.pref.nagano.lg.jp/images/240/suwako_wpt01.jpg

その後すぐ、1月12日に発行された長野日報と信州市民新聞(岡谷市民新聞・諏訪市民新聞・茅野市民新聞・下諏訪市民新聞・たつの新聞・みのわ新聞・南みのわ新聞)には募集開始に関する記事を掲載いただいた。プレス発表前であったが、主催側の地道な努力が実った形である。

web.archive.org

最終的に開催にあたり、障壁となったのは講師が現地レクチャーをするのかどうかであった。ちょうど緊急事態宣言が出ている状況で実質的な第2波が来ていることもあり、最終判断を行うまで、かなり悩まれたようだが、オンラインでのタウンを試す実験的な会にしたいという結論に行きついたという。

編集テーマの設定

「SUWAKOペディア」では、主催者側で設定テーマの案を6テーマ提示し、その内容を全体会で決定する運びを取った。最終的には、図書館にある資料(特に新聞や書籍、行政資料)がどの程度あるかを基準に以下のテーマとした。

  • 防災機能を持たした公園として諏訪湖畔に開設された「赤砂崎公園」。国の補助金を用いて設置されたそう。公園には防災用ヘリポート以外にも市民が集える公園としての設備が多く設置されている。
  • 31河川が流れ込んでいるが、流れ出るのは水門から天竜川に流れる「釜口水門」のみ。諏訪湖の面積に対して、流入域40倍。大雨のたびに氾濫を繰り返してきた。しゅんせつなどを進めてきたが、湖面が下がってしまうこともあり、昭和11年に水門設置で現在のものが2代目。夏場は水面を低くし下流への被害を防ぐ役割も担っている。
  • 諏訪湖の海底に沈んでいる「曽根遺跡」(「諏訪湖」の一節)
  • そして「諏訪湖の観光」(「諏訪湖」の一節)

当日はスケジュール通りにいかない

順調に行くことはなく、昼食は私と一緒に講師を務めてくださった、かんたさんのレクチャーを聞きながら進めることとなったというイレギュラーな組み合わせで進めることとなった。

予定時刻 実際時刻 内容 詳細
9:00 9:00スタッフ集合
9:40 9:40参加者集合
10:00 9:50 ガイダンス 資料説明・イベント趣旨説明
10:02諏訪湖及び諏訪湖創生ビジョンについて
10:18ウィキペディアの概略説明(あらい)
10:44まちあるきの魅力について(県立長野図書館 あさくらさん)
11:00~12:40 10:58~13:02まち歩き 諏訪湖周を大型バス移動
10:58 下諏訪文化センター出発
11:03~11:39 赤砂崎公園見学
11:50~12:10 釜口水門見学
12:35~12:50 間欠泉センター見学
13:02 下諏訪文化センター到着
12:40~13:30 13:10~ 昼食・休憩 昼食を兼ねてガイダンスを開始
13:20~13:50ウィキペディア編集のコツ(かんた)
13:50~14:14文献収集ガイダンス(あらい)
13:30~16:00 14:20~16:00文献調査・編集
16:00~16:50 16:00~17:00成果発表・講評
16:50~16:55 17:00~ まとめ 参加者感想コメント・主催者挨拶
16:55 17:04集合写真撮影
17:00 17:20終了

今回は、会場である図書館からバスに乗り、諏訪湖を1周するルートがとられた。その中で「北斎が書いた諏訪湖はこのあたりだと言われている」というお話が同行ガイドからあり、ぜひ出典を探して欲しいとのお願いを画面越しにお願いした。

自身は、上諏訪温泉で一泊したいという欲望から、自宅ではなく岡谷駅前にあるコワーキングスペースからレクチャーを中継することとした。中継は、壁に設置されたモニターにzoomの画面を映しながら、相棒の一眼レフをウェブカメラとして接続する、いわゆるワイドショー形式だ。

参加者が諏訪湖を歩いているタイミングで、まちライブラリーの提唱者である磯井さんとが来訪されて、急に私はドキドキモードに突入した。いや、このタイミングでいらっしゃるとは思っていなかったこともその理由ではある。

どのウィキペディアタウンでも起きていることではあるが、まちあるきに時間を取られてしまい、予定通り進まないというのが世の常である。今回も1時間超オーバーしてまちあるきから執筆会場に戻ってきた。バスが図書館会場に戻ってきたのは13時ごろ。かなり時間は押している状況であって、かんたさんのガイダンスは全員が昼食をとりながら開催することとなった。自身は、まちあるき中に昼食をとるために外に出ることはできなかったこともあり、参加者の昼食時間に合わせて、信州そばを食することにした。(かんたさんはこれまでに昼食を全て済ませられているそう、すごい...)


かんたさんのガイダンスはいつも通りの安定感

なぜ、かんたさんがウィキペディアに関わるようになったのか、現在は図書館に関する記事を執筆していること、ウィキペディアの記事を執筆するにあたってどんなポイントに気を付けて執筆すればいいのかを考えてほしいということを訴えた。

記事の側面から分析し、何が必要なのかを自分の頭で考えてほしい。参加者に対して、説明を通して直接的ではないものの何度も伝えていた。ゆったりとした説明は、私のワークショップとはまた違った落ち着きを感じる。

私が一番グサッと刺さったフレーズは、かんたさんが仰せになった、次のフレーズだ。

Asturio Cantabrio「そのものごとの歴史の積み重ねを明らかにし、記録していくのがウィキペディアの編集だ」

勝手ながら、次回のウィキペディアタウンでのガイダンスに使わせていただきたこうと、思っている。

最終的に出来上がった記事たち

ロマンあふれる湖底遺跡もあれば、現在の観光産業に触れた記事まで、今回は4テーマ(記事)のはずなのに、色鮮やかな印象である。当日のイベントでは、参考文献の記載方法を中心にレビューした。具体的には、句読点の前に脚注(文献情報・参照情報)を明記することや、単位を書く場合は、漢字や片仮名で表現して、テキストブラウザでも読みやすくする工夫などである。実際にイベント中に行われた編集差分は、つぎのリンクから記事をご覧いただきたい。もちろん、修正作業は編集イベントが終わった後に参加者も含めた方々が細かく編集しているので、最新版とは異なる。

ja.wikipedia.orgja.wikipedia.orgja.wikipedia.org

当日の記事など

長野県諏訪地域振興局ブログ

blog.nagano-ken.jp

twitter

墨田区でのエディタソン、プレ開催。

2月23日、墨田区の魅力を伝えたいと立ち上がり活動するグループ「すみだすみずみほりおこし隊(すみほり隊)」のみなさまと一緒になってエディタソンを開催。今回のエディタソンは、コロナ禍ということもあり、オンライン参加の方とオフライン参加の方が入り混じり、私は会場からzoomを中継して逐次オンラインとオフラインの隔たりがないように注意しながら作業を進めた。私からのガイダンスの後、実質的な編集開始は11時、昼食休憩を1時間挟んで、編集は16時まで続く。実を言うと、集合時間のスケジュール以外は全く固めていなかった。それほどゆったりしたエディタソンである。

今回の打ち合わせは1月25日、ちょうどウィキペディア20年イベントが終わった翌週にオンラインで開催した。「すみだ北斎美術館」を1文でも加筆したい。というのが、すみほり隊のミッションという。であれば、図書館でどんな資料が必要なのか、レクチャーは30分・ワークは15分程度、参加者はスタッフを入れて10人未満とすること、というところを確認した。というより、それ以上のことは確認していない気がする。

当日午前9時50分、私は錦糸町駅に降り立った。この日の東京は、前の日までの春の陽気から一変し、冷たい風が吹いていた。錦糸町に降り立つのはかなり久しぶりで、ヨドバシカメラなんてあったのか、と思うほどだった。一番最初に向かったのは、三井不動産の商業施設「アルカキット」。開店前の商業施設に並んだのは、イベント実施中に脳へ糖分を送り込むため。この日は、墨田区銘品名店街に加盟する商店が出店するイベントが開催されていた。

meiten-sumida.com

突入したアルカキットには、「言問団子」「志”満ん草餅(じまん)」「長命寺櫻もち」が手前に並んでいたこともあり、即購入。

和菓子、お買い上げ!

駅前を走る北斎通りを西に歩くと、ひときわ目立つバナナのイラストが描かれたブラックボード。「ココデコーヒー」というお店。いちごとバナナが両方入ったサンドイッチなど、テイクアウトメニューも充実していた。自身はバナナが食べれない属であることから、いちごシェイクを注文。冷たい風がかなりの勢いで拭いていたが、そんなことは全く考えることなく勢いで注文していた。かなりのイチゴが入っているらしい。

今回の会場は、錦糸町駅から10分ほど歩いた「Co-lab墨田亀沢」である。印刷所が入るビルの1フロアをコワーキングスペースとして貸出している。壁面には活版印刷で用いる金属の活版やペーパーサンプル、紙製品が多く並んでいて、開始前にもかかわらず私をわくわくさせてくれる。そして、(良い意味で)イベントを始めさせてくれない自己紹介タイム。

今回は、このスペースに10人ほどが集まった。小学校の先生やすみだ北斎美術館に以前お勤めだった学芸員の方など、その顔触れは多種多彩。また、zoomを用いて画面の向こう側にも参加者がおり、私の声が届くように準備した。かなり久しぶりのガイダンス・レクチャーで冷や汗を流した瞬間であった。

エディタソンの編集対象は「すみだ北斎美術館」。一部の記述については出典が乏しいことなどもあり、今回の編集対象となった。墨田区立図書館から書籍・図録・雑誌などがテーブルには並べられ、参加者は思い思いに資料を読み込んでいくこととなった。プレ開催ということもあり、一旦お昼で中締めを行う形態となった。読み込みから編集まで1時間足らずという短い時間ではあったが、多くの参加者が1文以上加筆もしくは出典追加作業を行うことができ、気分も上々のようだった。

会場に並んだ資料たち

12時40分、中締めの後はお待ちかねのランチタイム。会場周辺にはいくつか気になるお店があるという参加者の方とまち歩きを兼ねて外に出た。ハンバーガー店や台湾料理店などが立ち並ぶ。最終的に入店したのは、京葉道路と四ツ目通りが交わる「緑三丁目」交差点から錦糸町駅方面の2軒目にある「生駒」。壁面を見るとカレーが有名らしいが、辛いものが苦手な私はカレーに目移りすることなく、「排骨丼(パーコー)」を注文。とんかつとはまた違うが、豚肉を油で揚げた料理である。よりメジャーな「排骨麺」もあったが、麺だと胃袋が膨れる気がして、どんぶりを選んだ。

r.gnavi.co.jp

実際のところ、どんぶりでよかった感は否めない。運ばれてきた排骨丼のご飯は2膳分が乗り、さらに大きな肉が乗っている。これだと和菓子までおなかを空けておくことができなくなる、と思いつつきちんと食べきる。かなりおなかがヘビィー。

14時、編集作業再開。同時に、和菓子の写真をウィキメディア・コモンズにアップロードする作業も進行する。アップロードした写真の一つが桜餅だが、箱から出しながら食べてしまいたいと思っていた。ひたすら我慢しながら、テザー撮影をしてその場で補正し、アップロードを実行していった。

一人一人が心置きなく思う存分作業して、終了宣言が出されたのが16時。少しずつの編集かもしれないが、大きな一歩になったことは実感いただけたと思う。今回の編集部分については、以下のリンクから参照していただきたい。

ja.wikipedia.org

最終的に、和菓子は桜餅のみを食し、草餅と団子は自宅に持って帰ることになった。実質的な編集時間をカウントすると、通常のエディタソンより少なかったことやかなり緩い時間軸で作業をしていただいたこともあり、満足度は高そうだった。併せて、次回を5月に開催することを決定したことで次への布石も打てた。

自宅に持って帰ってきた和菓子たち、草餅は肉厚、言問団子は滑らかな触感の餡。もともと昼食で満腹、その後歩いて少しおなかを空かせたところに和菓子。完全に夕食が和菓子となってしまった。

次回もコロナ禍ということもあり、公募はせずにセミクローズドで開催する予定。だが、招待枠はあるので、気になっている方がいたら個別に連絡を頂きたい。

Wikipedia 20 JAPAN開催の御礼

Wikipedia 20 JAPAN 参加者の皆様

過日のWikipedia 20 JAPANには多くの皆様にご参加いただきました。改めて御礼申し上げます。 今回のイベントでは、多種多様なプログラムを提供できるよう、準備させていただきましたが、いかがでしたでしょうか。

クロージングにてご案内いたしましたアンケートフォームについて、以下のURLからご回答いただきたく、どうぞよろしくお願いいたします。適度なタイミングでクローズします。

https://forms.gle/dfLnCJuC3NtRy14fA

ご不明な点がありましたら、Peatixからご連絡ください。

それでは、失礼いたします。

Wikipedia 20 JAPAN 実行委員会 Araisyohei

#wp20jpn はオンライン開催といたしました

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2021年1月23日に開催が決定していた「ウィキペディア20年イベント」ですが、政府による新型コロナウイルス感染症拡大に伴う「緊急事態宣言」の発令に伴う要請に協力する形で、イベントの開催形態を東京でのオフライン開催から、Zoomによるオンサイン開催に切り替えることといたしました。

この決定をするまでには、様々な葛藤も多くありました。新型コロナウイルス感染症の拡大が少しでも下火になってくれないかと思っていた12月前半の打ち合わせ時点から、大きく変わってしまったこの1月前半。東京都心でも4ケタの感染確認者が出るなど勢いが止まらなくなってしまった状況では、スタッフはもとより、来場される皆様の安全を確保することはかなわないと判断しました。

開催形態は変わっても、イベントに対する熱は実行委員会・登壇者一同、1ミリも変わっていません。ぜひ、当日みなさまとお会いできることを楽しみにしております。

なお、イベントの申し込みはPeatixにて行います。ご自宅からぜひご参加いただきたく、Peatixから申し込みをお願いいたします!

市民発信のブログ講習会、ネット生活の原点|「図書館」(仮称)リ・デザイン Advent Calendar 2020

2020年12月30日、新型コロナウイルス感染症の影響は留まるところを知らない。むしろ、東京都に限らず全国的に感染者数はうなぎ上りといった表現が適切だ。そんな中でも、2020年の図書館は、人間が挑む挑戦と新しい価値創造のために貢献し続けている。医療従事者に限らず、図書館関係者を含めて多くの方が、なるべく生活に影響が出ないように現場で勤務されている。同時に労働者の立場ではなく、ボランティアとして様々な課題を解決しようと努力している人が大勢いる。きょうの日本国内では、そんなことすらも忘れ去られているように思えてならない。

きょうから30年後、2050年12月30日の「図書館(仮)」は、2020年と同じように人間が挑む挑戦と新しい価値創造のために貢献し続けられているだろうか。例えば、行政の資金難で公立図書館の建物は存在しなくても、媒体を問わない「情報」を多種多様な観点でまとめながら、利用者に提供できる、次世代司書(仮)も同時に存在できるのだろうか。

もっぱら自分自身は司書ではないが、そんな人間でも「図書館(仮)」で何ができるのかを常に自問自答できるきっかけの場を存在させる必要性を感じている。付記するのであれば、官民などというありきたりな枠組みではなく、0歳から100歳超までを含めて“自分たちが声をあげ、他者と共存しながら”空間を創っていかなければならない状況になっている。

インターネットやブログが数多く開設され始めた時期、ちょうど2000年代あたり、街中の公民館ではノートパソコンを持ちより、市民主催の講習会が多く開催されていた。講習会には、老若男女問わず多くの市民が参加し、市民活動の発信に勤しんでいたころでもある。はじめてブログを開設する方は、IDの取り方からレクチャーを開始し、写真・文章の投稿から始まり、編集完了まで一体的に学修するプログラム。市民文化団体連合会の主催ということもあり、参加費は無料。当時としては珍しく自分を含めて20人くらいが参加していたように記憶している。

自身がウィキペディアに触りだしたのもちょうどこの時期である。ブログで編集作業のとりことなった私は、同じ時期にウィキペディア日本語版に触れることになった。正直、どちらが先かどうかは覚えていない。

さて、自身が日本語版の管理者を務めさせていただいている、ウィキペディアは来月(2021年1月)16日に、20歳の誕生日を迎えることになる。新型コロナウイルス感染症の拡大状況にもよるが「Wikipedia 20 JAPAN」と題した誕生日パーティを開催する運びとなった。単純に誕生日を祝うだけではなく、これまでの取り組みやウィキペディアタウンなどを振り返る機会とするべく準備を進めている。

ウィキペディアには、「中立的な観点」という方針が存在する。ここでいう中立的とは、編集上の観点で、偏向なく記事を作成していこうというものである。そのためには、書籍・雑誌・新聞などさまざまな媒体を多く使用していくことが必要となる。そこには、図書館が必要不可欠であり、そこにいらっしゃる司書の活躍が大きく関わる。実際、ウィキペディアタウンでも司書が集めた資料群が記事に大きな役割を担うことは間違いない。

これまで、町のことをウィキペディアに書き留める取り組みとして、ウィキペディアタウンで講師をさせていただいたが、その経験には現在の図書館がなくてはならない存在のものであると認識している。ウィキペディアタウンに限ったものではないが、まちの記録と繋ぎ止める役割は、単なる伝承者だけではなく司書も担えるのだ、ということを感じさせていただいた機会であった。

そんな、ウィキペディアタウンが常に開けられるような、建物として存在しているだけでなく、はたまた本が並んでいるだけではない場所として存在してほしい。そして、人と人とがゆるやかに繋がり、コミュニケーションを取っていく中で形作られていく、人々の思いをくみ取れるつながりが創れる場所が「図書館(仮)」であってほしいと心から思っている。あえて2020年現在の枠組みを用いて例示するのであれば、公民館+図書館+(何か)が「図書館(仮)」となるのではないだろうか。

2020年12月30日
ウィキペディア日本語版 Araisyohei


この内容は、「図書館」(仮称)リ・デザイン Advent Calendar 2020に掲載したものと同じものを掲載しています。

ウィキペディア20歳の誕生日 #wp20jpn 一緒に祝いませんか?

qiita.com

いよいよ。ウィキペディアは20歳を迎えます。この度、東京でWikipedia 20 Japanと題した記念イベントを開催することとなった。今回のイベントは、Wikipedia DAYというウィキペディアの誕生日を祝う企画として立ち上げ、ウィキペディア・コミュニティの認知度を上げていこうという意図を込めている。このイベントを開催するにあたり、会場申請を行うのだが、初めにこちらから明示した内容は以下の通りであった。

本件は、インターネット百科事典「ウィキペディア」の開設から2021年1月で20年目を迎えるにあたり、日本国内におけるウィキペディアコミュニティの再認識とさらなる発展の糸口を見出すべく開催するものであります。なお、実行委員会は、本イベント開催のために組織された委員会であり、これまで単独の事業を実施しているわけではありません。

ja.wikipedia.org

公式プログラムは、上記URLに明記されているので確認していただきたいが、初めに明示した目的をどうやって達成するのか、新型コロナウイルス感染症の第3波が襲っているといわれている中で、コミュニティの存在意義はなんなのかを振り返りながら、誕生日を祝いたいと試行錯誤を繰り返している。

企画のきっかけ

企画立案は、昨年度に開催された「ウィキペディアタウン in 秋葉原」であった。その際に参加されていた執筆者や大学の先生との夕食会で、私から「来年にウィキペディアは20歳を迎える」という発言をしたことからであった。夕食会は実質的な企画会議に変貌し、ウィキペディアンについて知る機会、コミュニティについて知る機会、アウトリーチの一つとしてウィキペディアタウンを知る機会の3本立てで進めることが決定した。わずか90分の議論でこの柱まで決まったことは、今思えばかなり衝撃的であった。その時にご参加いただいていた皆様には心から御礼申し上げたい。

次なるコンテンツ立案

その次の打ち合わせでは、アカデミックなコミュニティとの接続という点が話題となり、その部分のコンテンツが追加となる。同時に実行委員会を組織することとなり、6月時点には個別にアポイントを行い、実行委員会が確立されていったところであった。これら、4本の柱からプログラムを落とし込んでいくうちに、これまでウィキペディア・コミュニティで開催されたイベントを参考にしながら、ほぼ最終形のプログラムが完成する。

オープニングセッションが決まる

最後に追加されたプログラムは、「ウィキペディアの外から見たウィキペディア」という観点であった。2020年11月に図書館総合展ONLINEで開催された「図書館(仮)リ・デザイン会議」のオンラインイベント後に開かれたミッドナイトトークで、以前まで京都府図にいらっしゃった福島さんからご指摘をいただき、ふと脳内で考えた。

Wikipediaの外から見たウィキペディアを共有する要素が少し足りなかったな...と思う。もう少し脳内検討しながらコネクションをあたろうかと思いますが、20年できたことはなんなのかを少しでもフィードバックできるようなものを作りたい。一番最初のセッションにしたらオープングセッションとかにできるか。とかとか。

その上で、自分が導き出した結論はこうなった*1

外部がウィキペディアをどう見ているのか、20年でその地位は大きくアップデートされた。その中で知識情報基盤としてのウィキペディアはどうとらえるべきなのか、どう変化したのか。20年できたことはなんなのか。海外に比べてウィキペディアの質の問題はあるが、真剣に質を高めてほしい。外部から見たウィキペディアの立ち位置を提示するセッションを追加したい。

最終的には、オープニングセッションという形になり、総務省の「地域情報化アドバイザー」を務められている 東修作さんにお願いすることになった。打ち合わせを重ねていくと、東日本大震災がある意味でターニングポイントになったという話を伺えたりと、かなり濃いお話がお願いできそうだ。自分でもワクワクしてきている。

最後に

再三になるが、今回のイベントはウィキペディアの誕生日を祝うととともに、コミュニティを振り返りながら、未来の話も含めている。これまでウィキペディアのコミュニティがどう変化してきたのか、知ることが出来る貴重な機会にできると自負している。

個人的にはかなり軽い気持ちで参加していただきたいと願っているところだ。

*1:実行委員会内部議論における自身の発言より

人生2回目「丹後の海」、海と湖のウィキペディアタウンを振り返る

9月末のイベント報告記事の執筆期間を3ケ月を要して、完成させずに12月まで引き延ばしてしまったのは、COVID-19の対応で自宅PCも自分のノートブックPCとMacBookも開く前に就寝してしまっていることだということでご容赦ください。

2020年9月26日、東京・スウェーデン大使館でのWikiGapを終えたのち、秋葉原へ。MacBook Airを充電するためのType Cケーブルを自宅に置き去りにしたことや、ロングケーブルを購入したいという欲望もあり、ヨドバシカメラでカメラと接続で使えるテザーケーブルを購入。

amzn.to

東京から天橋立へひとっ飛び。たどり着けるか不安になる。

東京駅で行きつけのお店で軽く夕食を取ったあと、新幹線で京都へ。のぞみ号は人も少なめ。ゆったりと写真編集に挑めると思ったら、N700系の微振動で乗り物酔いがかなりひどい状況になり断念。最初からやるべきではなかったと反省している。今回は天橋立方面の最終乗り継ぎ列車になるので、乗り遅れないように注意しながら京都に降り立った。

京都駅から山陰本線は突出し式ホームにある。ちょうど乗車が始まったタイミングだったが、違和感を覚える。乗ろうとしていたのは、京都丹後鉄道「丹後の海」車両で宮津までディーゼルカーで楽しむはずだったのがJR車両が止まっている。しかも福知山止まり。すごく恐怖心を覚えて京都のみなさんに連絡を取る。大雨で運転見合わせが発生して、どうやら丹後の海が京都まで来れなかったようである。福知山で足止めという最悪の事態も想定しながら、はしだて9号に乗り込む。先頭車両に乗っているのは私を含めて3人。京都20時台の特急というのはこのくらいの混雑なのだろうかと、不安になりながら、月明かりしかない鉄路を走り続ける。

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京都駅に止まっているJRはしだて。

福知山止まりとなったはしだて9号は、JR下りホームに数分遅れで滑り込んだ。降りる人も多いわけではなく、ひっそりとしている。そこから駅員さんに誘導されるように、JR上りホームに案内される。そこには待ち望んでいた「丹後の海」がエンジン音を轟かせて止まっている。どうやら宮津までは行けるようだ。見た感じ、JRはしだて9号から丹後の海はしだて9号に乗り継いだのは私以外に2〜3人。どんどん人がいなくなっていく。

丹後の海は、最前席に陣取った。車両には私以外の人はいない。暗闇のライトに照らし出される車窓を眺めながら宮津を目指す。福知山から約30分で到着したが、こんなに近いのか、と改めて感じた。丹後の海は宮津から西舞鶴まで普通列車として運転するようだが、乗客は少ない...。私はくまなく内装を見学して、宮津に降り立った。

シックな外観を写真に収めることで精一杯だった。暗闇の中に映し出される青い車体。そのシルエットは背筋が冷たくなるほどスタイリッシュ。

宮津駅で乗り継ぐはずの列車は発車時刻になってもやってこない。発車案内はいつのまにか消灯しており、また不安が過ぎる。乗り継げなかったわけではないはず。丹後の海を担当された車掌さんにお伺いしたところ、待ってれば来ます、との強い言葉をいただき、しばらく宮津駅で待つこととなる。

23時直前、踏切の音が急になり出し1両のディーゼル車両が入線してきた。網野行き、最終列車である。乗ったのは3人。開いていたパソコンを急いで片付け、1つとなりの天橋立で下車する。

  • 東京〜京都
    • 18:00〜20:16 のぞみ101
  • 京都〜福知山
    • 20:37〜21:59+3min 5089D はしだて9号(JR車両での運転、福知山止に変更)
  • 福知山〜宮津
    • 22:00+12min 〜 22:29+12min 5089D はしだて9号 宮津行(丹後の海、福知山始発に変更)
  • 宮津〜天橋立
    • 22:49+8min〜22:56+8min 353D 普通網野行最終

天橋立駅は、だれもいない。乗ってきた長距離きっぷを運転手に見せて降り立つ。私ともう一人乗車しており、その人は駐車場に止めていた車を運転して駅から出発して行った。

今回の宿は、駅前にある「天橋立ホテル」。最終電車で来るような宿ではないことは重々承知していたが、ここ最近は温泉に行きたい症候群が抑えられないこともあり、福知山ではなくここにした。チェックインを済ませ、すぐに温泉へ。もちろん誰もいない。サウナとソルトスパは新型コロナウイルス感染症拡大防止のため休業中とのことだが私には関係ない。私が求めていたのは、温泉である。

www.amanohashidate-htl.co.jp

天橋立温泉の源泉は、かなりぬるめの温度である。「32度台の源泉」と成分表に書いてあることを読み飛ばして入った私は夜中の露天風呂で叫んでしまった。完全なる失態である。ウィキペディアンであるなら、事前に温泉の記事くらい読んでおけ、とツッコミをいただきそうなところである。深夜と朝の2回入浴して、ぽかぽかしながら会場に向かう列車に乗り込んだ。

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温泉タンクが駅前にあるのはかなり印象的

会場は旅館。そこからまちあるき。

「海と湖のウィキペディアタウン」の会場となったのは、「離湖(はなれこ)」にほど近い、旅館「いながき」さん。入口では体温測定が徹底され、私も検温を受けた。

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旅館いながき。住宅街の一角に構える。

入館すると大量の資料やテレビ・電源タップが運び込まれていた。その機材量に驚きを隠せず、焦っていた。大都市圏だとレンタルして配送するレベルの機材。最終的に集まった、参加者はスタッフを入れて総勢20名以上。高校生から市議会議員さんまで幅広い年代・職業の方が集まった。

www.nakisuna.jp

自己紹介を終えると、今回歩く町について説明される。川・湖など様々な固有名詞が頭がいっぱいになるほど登場する。壁には国土地理院の地形図が掲出され、私の心をくすぐる。話を聞いているより、地形図に描かれた湖は意外と大きく感じた。

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湖の上にそびえる山。

実際に歩いてみると、離湖の上には島風の離山(はなれやま)がそびえたち、湖全体の雰囲気を見通すことはできない。一行は、湖の上に立つ山へ足を踏み入れた。最初に行った広場には、ここに寺院があった碑が建てられている。以前、ここには龍献寺(りょうごんじ)という寺院があったといわれている。火災があったからというのは定かだそうだが、殿様を怒らせてしまったことによって反感を買い火を付けられてしまったとのこと。また、山頂近くには離山古墳があり、直径15メートル、高さ2.2メートル。石室は四世紀代の前期古墳にみられる竪穴式石室とは違い、竪穴系横口式石室の系列らしい。

古墳から足を進めると神社が現れる。弁天様と呼ばれる神社は湖からまっすぐ階段で上がってくる位置に配置されている。モルタルで固められている階段だが、かなりの急こう配。山頂側から降り続けている我々も怖さを感じるほどである。

湖から会場に戻って歩く我々の傍らには、歓迎するようにコスモスが咲き乱れる。

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湖畔に咲き誇るコスモスたち。

執筆開始、グループはおおまかに3分割

大まかに分かれたのは、八丁浜・樋越川・離湖の記事執筆グループ。私は網野高校のメンバーと八丁浜のグループに入りました。参加した高校生ははじめに、各文献に明記されている事項と資料の名前とページ番号をA5判の紙(情報カード)に書き出す作業からスタート。私からは、資料の内容をそのままコピーするのではなく、自分の言葉でまとめてみること、それが難しいのであれば、文脈を箇条書きにして書き出すことをポイントとしてお願いした。

同時に、今回ワークショップの進行を務めてくださっている漱石の猫さんから、八丁浜にはどんな要素があるだろうかと話題を投げかけてくださった。自然科学的な要素と人文社会的な要素。後者は今回で言うと観光にあたるところだろうか、という投げかけである。最終的な形は記事を見て頂きたい。

ja.wikipedia.org

高校生にとってはかなり短い時間となったが、高校生にとって有意義な時間を提供できたのではないかと思っている。

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宿泊したら...半沢直樹

その夜は、講師とファシリテーターは、旅館に宿泊させていただいた。当日のごはん、お米はお代わり自由。どんどんおなかが膨れる。地の物が本当においしい。筍の炊き込みご飯が夕食に出されたのですが、私はガンガンお替りしてしまいました。実際のところ、5膳くらい食べていた。

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いながきのあさごはん。

満足していたのち、その日は「半沢直樹」の最終回。しぐれさんと二人でテレビにかじりついて発狂していたことは個々だけの秘密にしておいてください。